こんにちは。よっとんです。
歴史・倫理哲学・心理学、それから本紹介のブログを書いています
今日は「松方デフレ政策って何?」という話です。
この記事を読めば以下のことが分かります。
① 松方デフレ政策の内容とは?
② 松方デフレ政策の影響とは?
松方デフレについてとにかく分かりやすく説明してほしいという方に向けてとにかく簡潔にを目指して書きましたので、ぜひ最後までご覧ください!
松方デフレ政策の内容は?
松方デフレ政策の内容についてまず説明いたします。
結論からいうと、次の2つになります。
① 紙幣整理(不換紙幣を回収して、兌換紙幣に替える!)
② 増税と緊縮財政(歳入を増やし、歳出を減らす=政府の金を増やす!)
なぜこの2つを行うのかその理由から説明します。
松方デフレ政策の背景・理由は?
松方正義大蔵卿がデフレ政策を行うことになった理由は2つあります。
(1) 国立銀行条例の改正(1876年)が行われ、不換紙幣が増発されたこと
(2) 西南戦争に対する巨額の軍費のために不換紙幣が増発されたこと
この2つが原因です。
(1)国立銀行条例の改正(1876年)が行われ、不換紙幣が増発されたこと
ここで先に用語の説明をします。
不換紙幣と兌換紙幣とは?
- 不換紙幣…正貨(金貨・銀貨)と交換することができない紙幣
- 兌換紙幣…正貨(金貨・銀貨)と交換することができる紙幣
松方デフレ政策の理由の(1)の話をします。
貨幣・金融の面でも欧米諸国に追いつきたい当時の明治政府は、1872年に国立銀行条例を制定します。
これは、民間銀行に兌換紙幣を発行できる権限を与えた法律でした。
なぜ、民間の銀行に兌換紙幣の発行を任せたのか?
それは、当時の政府は殖産興業によってお金を使いすぎていたので、兌換紙幣の担保となる金や銀といった正貨を有していなかったからです。
金・銀を多く持つ民間のお金持ちに銀行をたくさんつくってもらい、兌換紙幣を発行してもらって貨幣・金融制度の近代化をはかろうとしたのが、国立銀行条例の目的でした。
しかし、改正前の当条例の条件は厳しく、たったの4行しか銀行ができませんでした。
そこで、兌換義務を廃止したのが、国立銀行条例の改正です。
簡単に言えば、金・銀との交換を保障しなくてもいい、紙幣を発行していいよ!ということです。
ほとんどの人が銀行を設立できるようになったので、153行の銀行ができました。
その多くの銀行が不換紙幣を発行しました。
これが松方デフレ政策の背景となるできごとの一つ目です。
国立銀行条例の改正によって銀行がたくさんできた。その銀行が不換紙幣を増発した!
(2) 西南戦争に対する巨額の軍費のために不換紙幣が増発されたこと
次に(2)を説明します。
1877年に当時の政府が行った廃刀令(武器(刀)を捨てなさい!)に対する不平士族が大規模な反乱をおこしました。
これが西南戦争です。
この西南戦争に対応するのに政府はとにかく紙幣を刷りまくりました。
この紙幣は不換紙幣です。
これが松方デフレ政策の背景となるできごとのニつ目です。
西南戦争のために不換紙幣を増発した!
(1)と(2)の結果は?
(1)も(2)も共通して不換紙幣を増発したことが書かれていましたね。
紙幣が世の中にたくさんあると、その分物の値段も上げなくてはなりません。
この現象がインフレ―ションです。
松方デフレ政策はこのインフレに対応するために行われました。
インフレに対応するための松方デフレ政策
紙幣整理
さて、では松方デフレ政策の肝となる紙幣整理を見ていきましょう。
紙幣整理とは、不換紙幣を回収して、兌換紙幣に切り替えることです。
そして、主体は民間銀行ではなく政府になります。
だから主に次の2つを行いました。
① 政府は日本銀行という中央銀行を設立し、銀と交換できる兌換紙幣を発行するようにした。
② 不換紙幣を増発されては困るので、国立銀行条例の再改正し民間銀行の紙幣発行権を取り上げた。
ただ、政府にはお金があまりありません。
政府の歳入を増やして、政府の支出を減らさなくてはなりません。
そのためにやったことが次の増税と緊縮財政になります!
増税と緊縮財政
繰り返しになりますが、銀兌換紙幣を発行するための銀を政府が保証するには、
とにかく政府に金が必要でした。
だから、松方正義は国の出費(歳出)を減らして、収入(歳入)を増やす政策を行いました。
一つは増税により歳入を増やすことです。
具体的には、
・醤油税・菓子税などを新設
・酒造税・たばこ税の増徴
です。
次に緊縮財政です。
これは、歳出を緊縮する(減らす)ことを意味します。
具体的には
・行政費の削減(※軍事費以外)
・官営事業の払下げ
です。
行政費とは政府の使うお金のことですので、それを減らせば歳出の削減に直結することがわかると思いますが、
官営事業の払下げが難しいかもしれません。
簡単に言えば、国の受け持つ仕事を民間企業に任せちゃうことです。
これにより国の受け持つ仕事がなくなり、余計な出費や負担がなくなります。
こうして松方デフレ政策はうまく歳入を増やし、歳出を減らすことに成功しました!
松方デフレ政策の影響は?
松方デフレ政策の影響は何か?
次の3つが起きました。
① デフレーション
② 財閥の誕生
③ 産業革命が開始
一つずつ簡単に説明します。
デフレーション
一つ目の影響はデフレーションが起きたことです。
増税や緊縮財政により政府にお金が貯まると、
逆に世の中にお金が無くなります。
そうすると物の値段も下げなくては売れなくなりますので、物価が下がっていきます。
これがデフレーションです。
(※厳密には貨幣の価値が関係しますがここでは割愛)
特に暴落したのが米・生糸・繭などの価格でした。
そして、物価が全部下がっていれば特に問題はなさそうなのですが、
当時の農民に対する税金は地租というものです。
この地租は定額金納でした。
物価は下がっていつもより安い収入しか入らないのに、地租は定額ということで、彼らは大打撃を受けました。
こうした自作農だった人たちがどんどん小作農へ転換しました。
こういう人々たちが自由民権運動に参加し、激化事件を起こしました。
(※秩父事件では貧窮農民が困民党をつくり抗議運動をしました)
財閥の誕生
松方デフレ政策の一つである緊縮財政で、官営事業の払下げを行ったと言いました。
ただ、あらゆる人物や企業がこの事業を買収したわけではありませんでした。
ほとんどは三井・三菱といった政商でした。
彼らは官営事業を手に入れてあらゆる事業に手をつける企業へと成長していきました。
これにより財閥が生まれました。
産業革命の開始
松方デフレ政策により銀兌換の紙幣が発行されるようになると、銀を主体とした制度が整いました。
これを銀本位制度といいます。
銀本位制を確立することのメリットは物価が安定することです。
従来のように不換紙幣を増発し続けられる状態よりも、
交換比率が決まっている(銀◎g=紙幣△枚)と決まっている状態の方が物価は安定します。
物価が安定すると、金利も安定します。
そうすると人々がお金を借りやすくなります。
お金を借りやすくなると、事業を開始しやすくなりますね。
企業勃興ブームが松方デフレ政策以降訪れます。
これにより日本は産業革命が到来します。
以上、3つが松方デフレ政策による影響です。
まとめ
松方デフレ政策の内容と影響はいかがだったでしょうか。
松方デフレ政策は難しそうな政策ですが、
やっていることはシンプルで国にお金を貯めることでした。
しかし、その分お金は世の中に出回らなくなるのでデフレとなります。
農民は打撃を受ける一方、政商は財閥へと成長した、
これらが影響となります。
以上で松方デフレ政策の内容と影響の説明を終わります。
ここまでご覧いただき誠にありがとうございました。
ぜひ他の記事もご覧ください。
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