皆さんは「神様」と聞いて、どんなイメージを抱かれるでしょうか?
一神教の文化圏では、唯一絶対の存在として神が崇められることが多いですが、ここ日本においては、その姿はかなり異なります。
今回は、日本の神々のユニークな特徴を、日本最古の歴史書『古事記』の物語をひもときながら、深く掘り下げていきたいと思います。
特に、以下の4つのポイントに注目して、日本の神の特徴について記していきます。
・多神教:八百万の神々
・成る神(アニミズム):自然そのものが神となる思想
・まれびと:遠方から訪れる異界からの使者
・祀る神・祀られる神:神と人との相互関係
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多神教:八百万の神々とは?
日本の神々を語る上で、まず外せないのが「多神教」という概念です。
キリスト教やイスラム教のような一神教とは異なり、日本では数え切れないほどの神々が存在すると考えられています。
その数は「八百万(やおよろず)」と表現され、非常に多くの神々がいることを意味します。
この多神教の考え方は、『古事記』の冒頭から顕著に見て取れます。
「天地開闢」の物語では、まず高天原(たかまがはら)に「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼ばれる三柱の神(アツヒコノカミ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミ)が生まれ、その後も続々と神々が誕生していきます。
例えば、有名なイザナギとイザナミの国生み神話では、彼らが日本の国土を形作り、さらに多くの神々を生み出していく様子が描かれています。
山、川、海、風、木々、そして道や家屋に至るまで、あらゆる自然現象や生活に関わるものに神が宿ると考えられてきました。
成る神(アニミズム):自然そのものが神となる思想
日本の多神教の根底には、「アニミズム」という思想が深く根付いています。
アニミズムとは、自然界のあらゆるもの(山、川、岩、木、動物など)に霊魂や生命が宿っていると信じる原始的な信仰形態です。
この考え方は、日本の神々が「成る神」として認識されることに繋がります。
「成る神」とは、特定の誰かによって創造されたのではなく、自然現象やその場に存在するものが、そのまま神として認識されることを指します。
日本人はどこかでアニミズム的な信仰をもっていると私は思っています。
昔から「お天道様が見守っているよ」という教えがあり、悪いことができなかったり、
「お墓を殴ったりできない」とか、「お札(フダ)を粗末に扱えない」とか。
ただの石、紙きれなのに、ぞんざいに扱うことができないのであれば、それはその中に何かしらの霊力が宿っていると考えているからではないでしょうか。
だとしたら、皆さんも心のどこかでアニミズムを信じているのかもしれません。
『古事記』の例
『古事記』には、アニミズム的な要素が随所に見て取れます。
例えば、イザナギとイザナミが最初に生んだ国々や島々は、そのまま国土の神として描かれています。
また、彼らが生み出した神々の中には、火の神であるカグツチノカミのように、その誕生が直接的に自然現象(火)と結びついているものもいます。
さらに、天岩戸(あまのいわと)隠れの神話では、太陽神であるアマテラスオオミカミが岩戸に隠れることで世界が闇に包まれ、様々な神々が力を合わせて彼女を岩戸から出すという物語が展開されます。
この物語は、太陽という自然現象そのものが神として崇められ、その失われた力が人々の生活に甚大な影響を与えるという、アニミズム的な世界観を色濃く反映しています。
山や森、巨岩や古木には、今でも「神宿る」とされ、しめ縄が張られている場所をよく見かけます。
これはまさに、古代から現代へと続く「成る神」という信仰形態の現れであり、日本人と自然との密接な関係を物語っています。
私たちは自然と共生し、その恵みを受けるだけでなく、時には畏怖の念を抱き、敬い、その中に神を見出してきました。
まれびと:遠方から訪れる異界からの使者
「まれびと(稀人、客人)」とは、遠い他界から、時を定めて訪れる異界からの訪問者を指す民俗学の概念です。※折口信夫が主な提唱者です。
日本の神話や民間信仰において、この「まれびと」の存在は非常に重要な意味を持ちます。
彼らは時に豊穣をもたらし、時に災厄を鎮める存在として、人々の前に姿を現します。
日本の神社にお参りに行ったときに「鈴を鳴らす」ことをしたことがある人は多いと思います。
あれは遠くにいる神を呼び寄せる行為と言われます。
その他にも「二礼・二拍手」をはじめにする人はいると思いますが、なぜ「二回拍手?」と思った方も多いと思います。
あれも諸説はありますが、神を呼び寄せる行為と言われます。
つまり、日本の神は本来遠く(異世界だったり、山の奥だったり)に存在し、それが近く(人間界、神社などに)やってくる(まれびと)的な存在なのです。
『古事記』の例
天孫降臨(てんそんこうりん)の物語に登場するニニギノミコトは、高天原という異界から地上に降り立つ、まさに「まれびと」と言えるでしょう。
彼は、天照大神の命を受け、地上の統治者として遣わされます。
その他にもオオクニヌシノミコトの国譲り神話においては、高天原の神々が何度も使者を送り、オオクニヌシに対して葦原中国の統治権を譲るよう迫ります。
これも一種の「まれびと」として神が扱われているといえます。
まとめ:日本の神々が教えてくれること
ここまで、日本の神々の特徴を「多神教」「成る神(アニミズム)」「まれびと」「祀る神・祀られる神」という4つの視点から、『古事記』の物語を例に挙げながら見てきました。
日本の神々は、決して唯一絶対の存在ではなく、自然の中に宿り、人々の暮らしと共に息づく、多様で柔軟な存在です。
彼らは時に荒々しく、時に慈悲深く、そして常に私たちの生活の傍らに寄り添ってきました。
高天原から八百万の神々が生まれ、自然そのものが神となり、遠方から異界の使者が訪れ、そして人々が神に感謝する(祀る)ことでその力が発揮される。
この循環こそが、日本の神道という独自の信仰形態を形作ってきたと言えるでしょう。
現代社会において、私たちはとかく効率や合理性を追求しがちですが、日本の神々の物語に触れることで、改めて自然への畏敬の念や、目に見えないものへの感謝の気持ちを抱くことができるのではないでしょうか。
皆さんもぜひ、『古事記』を手に取って、奥深く、そして魅力的な日本の神々の世界を体験してみてください。
きっと、新たな発見があるはずです。
ここまでご覧いただきありがとうございました
(参考文献)
『マンガ 面白いほどよくわかる! 古事記』(かみゆ歴史編集部)
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