日本は鎖国はしていたのか!?

歴史

こんにちは。よっとんです。

歴史・倫理哲学・心理学、それから本紹介のブログを書いています

今日は「日本は鎖国をしていたのか!?」という話です。

この記事を読めば、

  • 江戸期の日本は鎖国をしていたのかどうか。
  • 何故、貿易を制限していたのか

について理解できます。

とても分かりやすく書きましたので、ぜひ最後までご覧ください

日本は本当に鎖国していたの?

早速ですが、江戸時代に日本は鎖国をしていたのか?という疑問を解消しましょう。

結論から言えば、

日本はずっと貿易を続けていた、というのが答えです。

つまり、国を閉ざすことは一度もなかった、ということです。

国を閉ざさなかった理由はシンプルで、貿易をしたほうが幕府にとって儲かるからです(笑)

ただ、どこかしこでも貿易をしていいわけではありませんでした。

江戸時代に日本は以下のように貿易していました。

  • 清・オランダとは長崎で貿易
  • 朝鮮とは対馬藩が貿易
  • 琉球(現:沖縄)と薩摩藩が貿易
  • 蝦夷(現:北海道)とは松前藩が貿易

※北海道と沖縄が日本になるのは明治以降ですので、このときは外国となります。

これら4つの窓口で、相手国も決まっていました。

ただ、4つの窓口でずっと貿易をしていたので、鎖国という状態はなかったのです。

なぜ、4つの窓口だけ?

では、なぜ4つの窓口で貿易をしていたのでしょうか?

それは幕府が管理しやすいからです。

貿易をする理由は幕府にとって利益となるからでしたね。

ということは他の藩が勝手に貿易をしたりしたら、幕府にとって損になるわけです。

そこで、幕府は決まった窓口を設定し、かつ、幕府の許可した藩のみの貿易とすることで、

貿易をする人と品物を完全に管理しました。(もちろん利益は幕府にも。)

なかなか考えられていたんですね。

ちなみに、4つの窓口だからといって貿易額も少ないということはなく、

むしろ、莫大な金・銀・銅が会海外へ流出してしまうことが多く、何度も貿易制限をしているほどです。

7代将軍家継に仕えた新井白石という人物の行った「海舶互市新例」(長崎新例)が有名です。

これはあまりにも金・銀・銅が出て行っちゃうので、

オランダ船との貿易は年間2隻(銀3000貫まで)、清国との貿易は30隻(銀6000貫まで)に制限したものです。

このころからも、鎖国とは程遠いものだったということがわかるかと思います!

鎖国じゃないのになぜ「鎖国」?

実は江戸時代の庶民は「鎖国」という言葉自体使っていなかったようです。

「鎖国」という言葉は、江戸時代の後期に学者がつくった造語なのです。

※ドイツ人医師のケンぺルの『日本誌』の一章を志筑忠雄(オランダ通詞)が『鎖国論』と題して訳したことが始まりです。

最近では一度、文科省が小・中学校の教科書から「鎖国」という用語をなくそうとしました。

しかし、「「開国」があるのに「鎖国」がないのはおかしい!!」という反対意見が多くあったらしく

なんと、前言撤回してしまいました(笑)

よって、今でも「鎖国」という言葉を教科書で使用しています。

ここまで実際は鎖国ではなかった、という話をしてきました。

ただ、鎖国ではなかったにせよ、貿易相手を制限していましたし、また、日本人の海外渡航も途中から禁止していました。

最後にその理由をお伝えします。

何故オランダとだけ貿易していたの?

日本は清・朝鮮との貿易は以前からしていましたので、特に問題はないでしょう。

問題なのは、あらゆるヨーロッパ諸国の中で何故オランダとだけ貿易をしていたのか?ですね。

キーワードは「キリスト教」です。

江戸期の幕府はキリスト教が庶民に広まっていくことを阻止しようとしていました。

踏絵が有名ですね。

これは、イエス・キリストの絵(版画)を踏ませることで、キリシタンかどうかを判別するものです。

これでキリシタンを弾圧しました。

彼らが弾圧された理由はいろいろあります。

例えば、キリシタンは神のみを崇拝の対象とし、将軍を敬わないことや、

キリシタンは反対勢力として団結することを恐れたことなどです。

そもそもキリスト教が日本に伝わったのはポルトガル人・スペイン人(=南蛮人)が日本へやってきてからでした。

ポルトガルとスペインの日本へ来た理由は、もちろん貿易をすることでもありましたが、

本来の目的はキリスト教の布教でした。

キリストの教えを世界中へ伝えることが、彼らの使命だったのです。

では、オランダはどうかというと・・・

実は、オランダ人と、ポルトガル・スペイン人と異なることがあります。

それは、プロテスタントであるか、あるいはカトリックであるかです。

ポルトガルとスペイン人はカトリックが多数派です。

カトリックは布教(キリスト教を広めること)が重要視されています。

有名なザビエルのイエズス会はキリスト教を広めるための組織です。

一方、プロテスタントでは布教はそれほど重要視されていません。

そして、オランダ人はプロテスタントが多数なのです。

幕府からすると、布教するポルトガルとスペイン人は厄介です。

だから、彼らとの貿易は途中で禁止しています。

一方オランダ人は布教が目的ではありませんので、幕府にとっては都合の良い貿易相手。

オランダもオランダで、日本との貿易を独占できるのはとてもよかったのでしょう。

お互いの貿易は江戸時代の間はずっと続くことになるのです。

ちなみに海外渡航を禁じたのも、キリスト教が広まるのを恐れたためでした。

江戸期の日本はキリスト教との戦いの歴史でもあったのですね。

まとめ

江戸時代の日本は、4つの窓口を通して貿易を続けていたので、

鎖国ではなかったことが分かったと思います。

そして、鎖国ではなくとも貿易制限をしていた理由が「キリスト教」にあることも理解できたかと思います。

今後は歴史についてのブログ更新も多めにやっていきますので、ぜひほかの記事もご覧くださいませ。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

参考文献を載せておきますのでぜひごらんくだい!!

『面白すぎる!日本史の授業: 超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす』(あさ出版)河合敦 (著), 房野史典 (著)

日本史は逆から学べ《江戸・戦国編》 (光文社知恵の森文庫) 河合 敦 (著)

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