こんにちは、よっとんです
心理・哲学(倫理)・歴史をメインに投稿しています
今回は、
「仏教とは?~シッダッタが言いたかったことは?~」
というテーマでお話しします。
実は、仏教と言っても、たくさんの教えがあります。
例えば・・・
- 「『南無阿弥陀仏』と言えば、救われるよ!」とか
- 「仏像やお寺を造ることが正しい行為だ」とか
- 「修行をするのが大事でしょ」とか
様々です!
では、どれが仏教の正しい教えかというと、
実はどれも仏教です!
何故、こうなってしまったかは下のリンクの「初期仏教と大乗仏教」を参考にしてください。
今回は、その中でも、
仏教の始祖ゴータマ・シッダッタが説いた教えをメインにお話しします。
「シッダッタが言いたかったこととは?」
これを理解すれば、仏教の原点が分かるかと思います!!
では早速、いきましょう!
仏教のGOALとは?
まず、仏教でのGOALをお伝えします。
それは簡単に言えば、
「苦しみを取り除くこと」
ということになります。
苦しみを取り除いた状態を仏教では、「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)といいます。
涅槃は「ニルバーナ」ともいい、意味は「ろうそくの火を消した状態」です。
心の苦しみから生じる怒りや欲を「煩悩」(ぼんのう)といいますが、
この煩悩を除き、心の中の火(苦しみ)を取り除くこと=「涅槃に至ること」
これが仏教でのGOALになります。
一般的に、私たちの人生は
嬉しいこと・楽しいことなどプラスのこともあれば、
悲しいこと・辛いことなどマイナスのこともあると考えます。
そして、「プラスの多い人生になればいいな」などと願うでしょうか。
しかし、仏教では、
人生はマイナスからスタートし、プラスになることはないと考えます。
なぜかというと、仏教では
「生きること=苦しみ」
と捉えるからです。
ええっ!?
と思われたかもしれませんが、
仏教はマイナスからスタートし、マイナスで終わることが想定されています。
理由は、
「生まれた存在=老いる、病気になる、死ぬ存在」
だからです。
人間は生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが始まります。
現在これを書いている私も確実に死へ向かっています。
また、老いてもいきます。
どれだけアンチエイジング効果の期待されるものを実践しても、
残念ながら、老いには勝てませんよね・・・(笑)
それから、病にもなります。
今のところ、一度も病にならずに死ぬ事ができた人はいないのではないでしょうか?
これらのことから、
生まれてしまったこと=苦しまなきゃいけない存在
と考えるのが、仏教です。
ちなみに、この「生老病死」の四つの苦しみのことを仏教では
「四苦」といいます。
その他に、仏教では、
- 愛する人と別れなきゃいけない苦しみ(愛別離苦)
- 怨む、憎む人と会わなきゃいけない苦しみ
- 求めているものが得られない苦しみ(求不得苦)
- 五感や心の働きが生む煩悩を制御できない苦しみ(五蘊盛苦)
という苦しみもあげています。
「私は愛する人と結婚したから別れることはない!」
という方もいるかもしれませんが、
いつかは、どちらかが亡くなってしまいます・・・
人間は死ぬ存在だからです。だから、愛別離苦は正しいです。
「俺は欲しいものはすべて手に入れてきた」
という人もいるかもしれませんが、
人間の欲望には際限がありません。
その後に、何か欲しくなって、次に別の物をまた欲しくなって、そしてまた別の物を・・・
と続いていくうちに何かしら得られなかったという体験が一度は来ます。
だから、求不得苦も正しいでしょう。
仏教では、これら4つの苦しみと、先ほどの四苦(生老病死)を合わせて、
「八苦」と呼び、これが人間には避けられないものとして考えられます。
この真理を「一切皆苦」(いっさいかいく)といいます。
さて、話を戻しましょう。
仏教のGOALは、
「八苦の苦しみを取り除くこと!」
になります。
マイナスの人生を、プラスにするのではなく、
限りなくゼロにしましょう!
というのが仏教のGOALということになります。
ここで皆さんの中には、
「じゃあ、死が救いなのでは?」
という方もいるかもしれませんが、それも違います!
インド由来の宗教(バラモン教やヒンドゥー教、そして仏教など)では、
「輪廻転生」という考えがあります。
詳細は、別の記事で載せますが、
簡単に言えば、
「生まれ変わること!」です。
「生まれ変わる」という考え方は、そもそもバラモン教が起源と言われています。
そして、仏教もそれを受け継いでいます。
※キリスト教・イスラム教など西アジア発祥の宗教は、終末論(死後、神(orイエス)の最後の審判を受けて、天国か地獄にいくというもの)がありますので、生まれ変わりはしません!!
私たちは、輪廻の中にいるので、何度でも生まれ変わってしまう、
つまり、何度も生まれてしまう=何度も苦しむ存在になるのです。
この考え方は私たちには馴染めないかもしれません。
僕なんか、
「もう一回生まれ変わったら、ラッキーじゃん!」と思っちゃいます。
ただ、繰り返しになりますが、仏教では
「生=苦しみ」と考えるので、
生まれ変わることは苦しい、ということになります。
だから、死ぬことは苦しみを取り除く手法にはなりません。
仏教の目的は
「苦しみを取り除くこと」
だけです。
ちなみに、この考え方は、シッダッタの死後に展開される、
上座仏教や大乗仏教でも通じるものですので、覚えておきましょう!
苦しみを取り除くとは?
仏教のGOALが
「苦しみを取り除くこと」だと書きました。
では、どうしたら、苦しみを取り除くことができるのでしょうか。
それは、
「苦しみを受け止め、苦しいと感じないような自分をつくること」
つまり、「苦しいと思ってしまう「心」の方を改善しよう」というものです。
「生老病死」は避けられません。
だけど、苦しい事実を目の前にしてもネガティブな感情を抑えることはできます。
例えば、
愛する人が死んでしまったとします。
その事実は確かに悲しいものです。
ただ、だからといって、前に進まず、ずっと嘆き悲しむのか、
それとも、その事実を受け入れ、前に進もうとするのか、
そのどちらかを私たちは選ぶことができます。
憎い人、嫌いな人と会うときも同じです。
憎い人、嫌いな人は必ず人間にはいるものです。
それは本能だからです。
「少し苦手だな」、という風に思ってしまうのは、
狩猟・採取の時代に生き残る上でとても重要でした。
危険な人に「違和感」を覚えることで危機を乗り越えてきたからです。
集団生活をしてきた人間という種族には、自分あるいは集団に危害を加える可能性のある人を
排除しなければ生き残れなかったからです。
脱線しました。話を戻します。
誰にでも嫌いな人は必ずいます。
仏教では、その人を好きになりましょう、という先生が言いそうなことは全く言いません。
その嫌いな人がいて、その人と会ってしまうという苦しみは確実に存在するという前提から始めます。
そして、その嫌いな人と出会ってしまったときに、
- 「何であいつがいるんだよ!最悪、今日の仕事はもうやる気がなくなった!」と考えることも、
- 「あ、あいつだ。まあいいや」と考えることもできます。
つまり、
「苦しみの事実がある=ネガティブな感情になる」ということではない!!ということです。
そして、ネガティブな感情になるのかを決めるのは誰か・・・?
そう、
自分です!!
自分の感情をコントロールしましょう!というのが、仏教の本質ということになります!
苦しみを取り除く方法とは?
さて、ここから具体的に苦しみを取り除く方法をお伝えします。
仏教で苦しみを取り除くためにやること、
それはずばり、「修行」です!
「修行をして、苦しい事実があったとしても、悲しんだり、ネガティブな気持ちにならないような自分をつくる」
ということをします。
具体的な修行として「八正道」というものをとりあげています。
八正道とは、
- 正見 …正しいものの見方をすること
- 正思 …正しい考え方をすること
- 正語 …正しい言葉をつかうこと
- 正業 …正しい行為をすること
- 正命 …正しい生活をすること
- 正精進…正しい努力をすること
- 正念 …それら正しい1~6を念頭に置いておくこと
- 正定 …正しい精神修行をすること(瞑想)をすること
の8つの修行をいいます。
ここでいう「正しい」というのは「客観的」という感じに近いです。
「自分中心の見方を捨てて、客観的にこの世界の正しいあり方(真理)を見る」
それが、1「正見」です。
その1「正見」をもとに2~7をしていくことになります。
例えば、先ほどの「嫌いな人に会う」という例を取り上げましょう。
この場合、「嫌いな人は必ずいる」というのが事実・真理です。
だけど私たちは自分の考えに固執してしまって、
「何故、あいつがいるのだ」とか
「あの人を嫌いになるべきではない」とか
考えてしまします。
ただ、嫌いな人、他人はどうすることもできません。
あなたが魔法を使えて一瞬で消せたりしたら、悩みはなくなるかもしれませんが、
それは不可能です。
だから、
まずは「嫌いな人がいる、そしていつか会ってしまう」という事実を正しく見ましょう(正見)。
それができれば、次に正しい考え、行動、生活などができる、
仏教ではそういう風に考えます。
そして、常に、8「正定」(瞑想)をして、
自分と向き合い、
「自分を苦しめているものは何か」を見つめなおすことが必要です。
瞑想をし、
「ああ、自分はこの人が嫌いなんだな」と知ること
「ああ、この人に会ったときにこういう感情になるんだな」と知ること
そうすることで、
苦しみに対応することができます。
これが八正道です。
こうしてみると仏教とは、
誰かにすがるというものではなく、
自分の煩悩を取り除くために修行をしましょう、
というとても理に適った現実的な教えといえます。
まとめ
仏教は宗教という括りに入るので、
「仏さまに祈って助けてもらうもの」
という他力的なものだと思われていた方も多いと思います。
しかし、そういう他力型の教えを、始祖のシッダッタは説いていません!
本来の初期仏教は完全に
自力救済型です!
自分で修行して、自分で苦しみを取り除くというものです。
阿弥陀如来に助けてもらう、とか
仏像を造れば救われる、とか
そういう何か・誰かにすがるという類のものは、
シッダッタの死後に約百年後にできた大乗仏教からの考えになります。
シッダッタの教えはあくまでも
「自分で修行をして煩悩を取り除く」というものでした。
今回は全体像を簡単に説明したので、細かい内容は省きましたが、
全体像を理解しておくことはとても大事です。
また別の記事にて、
シッダッタの教えの中核となる
- 「諸行無常」
- 「諸法無我」
を説明したいと思います。
これを知ることで、よりシッダッタの教えを理解できると思います。
長くなりましたが、ここまで、読んでいただきありがとうございました!!
以下、仏教について学ぶ際のおすすめ本を載せておきます!
ぜひ参考にしてください!!
『本当の仏教を学ぶ一日講座 ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか 』(著:佐々木 閑)NHK出版新書
『大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか』(著:佐々木 閑)NHK出版新書
『池上彰と考える、仏教って何ですか?』(著:池上 彰)飛鳥新社
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