皆さんこんにちは。よっとんです。
哲学倫理・歴史・心理、それから本紹介のブログを書いています!
本日は、福沢諭吉を忘れるなプロジェクト第3弾!
「『学問のすすめ』はなぜ大ベストセラーに?」をお届けします!
実は、諭吉の『学問のすゝめ』は約350万部の大ベストセラーになりました。
これは、当時の人口からすると、10人に1人は読んでいたことになります!すごい!
なぜ、これだけ読まれたのでしょうか??
今日は『学問のすすめ』がどんな内容なのかを含め、大ベストセラーの秘密に迫りたいと思います!
まだ、福沢諭吉を忘れるなプロジェクト第1、2弾をお読みでない方はそちらもどうぞ
『学問のすすめ』は国民を「啓蒙」するため?

『学問のすすめ』はいわゆる啓蒙思想の一種です。
啓蒙とは「蒙昧を啓く」こと、
蒙昧は無知、暗い様子を意味します。啓くは光が射しこむ感じです。
「無知の状態」から「知の状態」へもっていくのが啓蒙思想です。
日本では明六社という啓蒙思想団体が有名です。
詳しくは下の創設者の森有礼をご覧ください。
福沢諭吉は明六社のメンバーでした。
彼がしたことは、江戸から明治になった後、
外面だけ変わったが心が追い付かない日本人、また今までの悪習がなかなかぬぐえない日本人などに、
新たな生き方を明示することでした。
そこで『学問のすすめ』を執筆し、日本人に新たな希望と勇気を与えたのです。
では、実際に中身を見ていきましょう!
全ての人は平等だと自覚せよ!

『学問のすすめ』に学ぶ「人はみんな平等」という考え方
福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭にある「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉は、皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
これは「天賦人権思想」を説いたもので、簡単に言えば「人は生まれつき、基本的な権利を与えられているから平等だ」という考え方です。
「権利の平等」とはどういうことか?
「人は平等」と聞くと、誰もが同じように自由気ままに生きていい、と誤解されがちですが、
福沢諭吉が言いたかったのはそうではありません。
ここでの「平等」とは、現実の状況ではなく「権利の上での平等」を指します。
現実には貧しい人や裕福な人、強い人や弱い人など、様々な違いがあります。
その意味では不平等だと感じるかもしれません。
しかし、私たちは皆、自分の力ではなく「天」によってこの世に生を受けました。
そして、天は私たちに心と身体を平等に与えています。
例えば、農民が甘いと感じるものは、その土地の支配者にとっても甘く、
農民が痛みを感じるものは、支配者もまた痛みを感じるのです。
このように、天が与えた心と身体はどの人々にとっても平等の機能を有しています。
そしてその平等さに基本的な権利(=人権)を天は与えてくれた、と天賦人権思想では考えます。
人類にさまざまな違いはあれど、皆権利の上では平等なのです。
現代の私たちにとっては当たり前の考え方ですが、明治時代が始まったばかりの当時、これは画期的な主張でした。
身分制度が廃止されたとはいえ、まだその風習や意識が根強く残っていた時代に、福沢諭吉は貧しい人も、お金持ちも、偉い人も、商人までも、すべての人が権利の上では平等であると説いたのです。
だから、もし誰かがあなたの権利を侵害しようとするなら、それが政府であろうと外国であろうと、全力で立ち向かってもいいのだと、諭吉は国民を励ましました。
これが福沢諭吉の『学問のすすめ』における主な主張の一つでもあり、
かつ、『学問のすすめ』が国民に広まった理由の一つなのです。
『学問のすすめ』の核、「一身独立して、一国独立す」とは?

福沢諭吉が『学問のすすめ』で最も強く訴えたかったこと、
それは「一身の独立」です。
諭吉は、「一人ひとりが自立することで、国全体が強くなる」と考えていました。
「独立」ってどういうこと?
ここで言う「独立」とは、「自分で自分を律し、他人に頼らない心を持つ状態」を指します。
具体的には、物事の善悪を自分で判断し、自分の頭と体を使って生活を営んでいる人は、他人に依存していないと言えるでしょう。
例えば、流行に流されて服を選ぶ人がいますよね。
もし自分の意思ではなく「流行だから」という理由で服を決めているのなら、それは独立しているとは言えません。
自分の意思で「これが着たい!」と思って選んだ時、初めて「独立した」と言えるのです。
なぜ「一身の独立」が必要だったのか?
もちろん、進学先や就職先など、偏差値や年収、知名度といった他人の評価に左右されずに自分で決めるのは、なかなか難しいことです。
まして、江戸時代は農民の子は農業に従事する、商人の子は商業に従事する、といった形である程度役割が決まっていました。
そんな江戸時代が終わり、明治時代になって福沢諭吉が「一身の独立」こそが重要と述べた理由は主に二つあります。
その理由は主に二つあります。
- 国を思う気持ちが生まれるから もし独立の気概がなければ、国を思う気持ちも薄れてしまいます。自分で何とかしようという気持ちがなくなると、まるで政府のお客さんのようになり、政府の言う通りに行動するだけで自分の意見を言わなくなってしまうでしょう。国内ならまだしも、外国との戦争になった場合、主体的に動けない人間はかえって国の足かせになります。外国から国を守るためには、強い独立心が必要なのです。
- 自分の権利を主張できるから 独立した立場を持たない人は、外国人に対しても自分の権利を主張できません。例えば、独立心のない商人は、外国人の体格や蒸気船の迫力に圧倒され、不当に高い値段をつけられても言いなりに取引をしてしまいます。これは一人の商人の問題に留まらず、いずれは国全体の損害へと繋がります。
当時は欧米列強が割拠する時代。
福沢諭吉は日本を西洋諸国と肩を並べる強い国にするためにも独立心が必要不可欠だと説きました。
明治時代と「一身の独立」
明治時代が始まったばかりの頃、日本の国民にはまだ儒教の教え、つまり「偉い人に従う」という考え方が根強く残っていました。
制度上は身分がなくなっても、庶民が役人に対してへりくだる姿勢が抜けなかったのです。
諭吉は、むしろ政府や官僚に頼るのではなく、国民(民間)が自ら事業を始め、模範を示すことこそが重要だと説きました。
彼はこのように述べています。
「世の中の事業は、ただ政府のみの仕事ではない。学者は学者として、官に頼らず事業をなすべし。町人は町人で、官に頼らず事業をなすべし。政府も日本の政府であり、国民も日本の国民である。政府を恐れてはいけない、近づいていくべきである。政府を疑うのではなく、親しんでいかなければならない」という趣旨を知らしめれば、国民もようやく向かっていくところがはっきりし、上がいばり、下は卑屈になるという気風も次第に消滅して、初めて本当の日本国民が生まれるだろう。
『現代語訳版 学問のすすめ』福沢 諭吉著 齋藤 孝訳
明治時代を迎え、急に西洋化した日本の中で、国民達は先行きの見えない大きな不安を抱いていました。
『学問のすすめ』はこうした国民の心に深く刺さり、一種の希望を与えたのです
それでも何をするかわからない人は…勉学に励め!

福沢諭吉の主な主張は、国民一人ひとりが自立すること(一身独立)によって、国全体も自立する(一国独立する)というものでした。
そしてその先の理想に、国民が賢くなり、政府と国民が協力し合う「官民調和」の世の中というものがあります。
実学とは?
では、国民一人ひとりが自立するための最初の一歩として具体的に何をすべきか?
諭吉が最も重視したのは「勉学」でした。
ただし、どんな学問でも良いわけではありません。
諭吉がは「実学」を学べと主張しています。
実学とは、「人々の暮らしや日常の人間関係に役立つ、実践的な学問」のこと。
具体的には、読み書き計算(算数)はもちろんのこと、倫理や道徳、宗教、哲学、天文、地理、物理、化学などが含まれます。
江戸時代までの日本では、漢文や古文、和歌といった古典を学ぶことが一般的でした。
しかし諭吉は、「和歌がうまくても商売ができる人はあまりいない」と述べ、古典は実学ではないとしました。
それよりも、西洋から入ってきた学問(洋学)を中心とした実学を学ぶべきだと主張したのです。
日常生活から学ぶ「実学」
実学は、日常生活に役立つものであると同時に、日常生活の中から学ぶこともできるものです。
例えば、家計簿をつけることや、世の中で何が売れているかを察知して商売をすることは、すべて経済学に通じることです。
このように、身近なところから積極的に学ぶことが大切だと諭吉は考えました。
国民が学問に励むことで、物事の道理や筋道が見えてくるようになります。
つまり、世界がどのように成り立っているのかを理解できるようになるということです。
そうすれば、自分が今何をすべきか、どのような役割を果たすべきかが見えてきます。
これこそが、諭吉が「勉学が個人の自立(一身独立)につながる」と考えた理由です。
国民が学問を通じて自分の社会的役割を果たすようになることで、結果的に国の総合力が向上する。
だからこそ、諭吉は国民に勉学に励むことを強く説いたのです。
まとめ『学問のすすめ』から学ぶ、現代を生き抜くヒント💡
今回の記事では、「福沢諭吉の『学問のすすめ』がなぜベストセラーになったのか?」についてご紹介しました。
諭吉がこの本で最も伝えたかったメッセージは、「一人ひとりが自立すること(一身独立)で、国全体も自立できる(一国独立)」ということでした。
国民一人ひとりが真剣に学び、他人に頼らず自分の力で生きるようになれば、国全体のレベルは格段に上がります。
そうすれば、日本という国が国際社会で堂々と渡り合えるようになると、諭吉は考えました。
この『学問のすすめ』が当時、飛ぶように売れたのは、「今、何をすべきか」を国民に気づかせ、大きな自信を与えたからでした。
明治時代が始まったばかりの頃、西洋から様々な技術や文化が押し寄せ、「文明開化」という華やかな時代が到来しました。
しかしその一方で、多くの国民は「これからどう生きていけばいいんだろう…」と戸惑っていたことでしょう。
そんな時、諭吉は『学問のすすめ』を通して、彼らに一つの明確な道筋を示したのです。
現代にも通じる『学問のすすめ』の魅力
『学問のすすめ』には、他にも現代を生きる私たちにとっても役立つメッセージがたくさん詰まっています。
- 「今、何をすべきか」が分からず悩んでいる
- 自分の考えを堂々と主張したいけれど、自信がない
- 「自由」と「わがまま」の違いって何だろう?
など、あなたの悩みを解決するヒントが見つかるかもしれません。
そして何より、諭吉自身が「読みやすい!」と自負している通り、とても分かりやすく書かれています。
さらに、齋藤孝先生が現代語訳してくださったおかげで、より一層読みやすくなっていますよ!
ぜひ皆さんもこの機会に、『学問のすすめ』を手に取ってみてはいかがでしょうか? きっと、新しい発見があるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
(参考文献)
☆『学問のすすめ 現代語訳版』(ちくま新書)翻訳:斉藤 孝
☆『福翁自伝 現代語訳版』(ちくま新書)翻訳:斎藤 孝
☆『人と思想 21福沢諭吉』(清水書院)著者:鹿野 政直
☆『福沢諭吉が見た150年前の世界 『西洋旅案内』初の現代語訳』(彩図社)翻訳:武田 知弘
☆『西洋事情』(慶應義塾大学出版会 )編集: マリオン・ソシエ, 西川 俊作
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