こんにちは。よっとんです。
哲学倫理・心理・歴史、それから本紹介のブログを書いています。
今回は国学者の平田篤胤の思想をわかりやすく解説します!
平田篤胤・・・固い・・・と思っているあなたは間違いです!
実は、平田篤胤の関心事は私たちも一度は考えるであろう、「死んだあとどうなるの?」ということでした。
さて、どういうことか・・・見ていきましょう!
1平田篤胤の関心事は?
平田篤胤は国学者としてよく取り上げられるのですが、
そもそも彼の関心事は何にあったのでしょうか。
結論から言えば、
「霊魂の行方」にありました。
簡単に言えば、
「人は死後どうなるのか?」
というものです。
平田篤胤は、
「死後の行方を知って、安心したい!」
という思いがあったようです。
ついつい、私たちは
「昔の人だから、難しいことを考えたのではないか」
と勘違いしてしまいますが、
「死んだ後を知りたい!」
という誰もが抱く疑問を真剣に考えたのが平田篤胤でした。
2なぜ、「死後の行方」を説いたの?
平田篤胤が死後の行方を知って安心したいと思ったのには、
彼の生きた時代・それから出自が関係しているようです。
彼の生きた時代は、1776~1843年、化政期前期でした。
ほぼ幕末といえるこの時代、
天明の大飢饉後で国内の秩序が乱れていることや、
また、欧米諸国の圧力がありました。
いわゆる「内憂外患」というものです。
国内は不安定で、いつ死ぬかもわからない。
そんな時代に、篤胤はいました。
また彼は秋田出身だったこともあり、
樺太・千島からの外圧に敏感でした。
実際に彼は、蝦夷方面への
探索者として有名な
最上徳内や近藤重蔵とも接しており、
また、千島について詳細に記録したノート「千島白波」が残っていて、
そこにロシアの脅威がリアルに捉えられています。
これらのことからも、
外圧に関して強い関心があったことが伺えます。
当時、外圧は宗教が絡む問題と認識されていたようで、
「キリスト教が民衆の心を侵略する」
という考えがありました。
そこで彼は、
「キリスト教の民心への侵略を阻止する」という考えのもと、
新たに国学を中心とした死後の世界を打ち出す必要性に迫られたのです。
3 死後の世界は?
本居宣長の『直毘霊』(なおびのみたま)を読んで深く感銘を受けたが、
彼は、本居宣長の「もののあはれ」論(主情主義的な考え)と死後に対する考えは継承しませんでした。
本居宣長は、死後の魂は、穢れた黄泉の国へ赴くと主張していましたが、
篤胤はそれを批判。
彼は、幽冥界という考えを出しています。
幽冥界の主宰者はだれもが知る大国主です!
そして、私たちの死後の魂は、この幽冥界にいきます。
幽冥界は、私たちの国土(現世)と重なっています。
厳密には異なりますが、パラレルワールド的な感じです。
何故重なっているかというと、
世界をつくるとき、
世界の創造主である産霊神(むすびのかみ)が、天皇が支配する顕世(うつしよ=現世)
と
死後の世界で大国主の支配する幽冥界をつくりそれを日本としたからです。
ちなみに篤胤は復古神道を提唱し、
「日本は世界の中心で、天皇は万国の大君である」と語っているのですが、
その理由は、神との連関性にあります。
神の子孫である天皇が治めている国、かつ死後の世界もある・・・日本はそんな素晴らしい国なんだ、ということになります。
篤胤の復古神道は明治時代にナショナリズムとして利用されます。即ち国家神道です。
だから、篤胤の思想は「過激・異端」というレッテルが貼られがちです。
しかし、そんなことはありません。
幽冥界について知ればその真意がわかります。
確かに、幽冥界は生きている私たちには見えませんが、
私たちの死後の魂は、この現世と重なる幽冥界に存在することになります。
つまり、すぐそこに死後の魂があるのです。
そして、その死後の魂は何をするのか。ここがPointです。
死後の魂は、大国主によって現世での行いの報いをうけたあと
生きている時に関わった、縁の有った人々を加護します。
どうですか、安心しませんか?
「魂がそこにあるよ」と言われると、幽霊とか思い浮かべてしまうかもしれませんが、
決して違います。
死後の魂は私たちを加護してくれる、かつ死後の魂になったあとは子孫を加護できる。
この事実は当時の人々を安心させたことでしょう。
篤胤はこの思想を当時の神職の人(吉田家、白川家など)や地方の有名指導者に伝えていきました。
(門人の数は、幕末には4000名にもなったらしいです)
4 篤胤の情報収集
最後に篤胤の情報収集についてお話しします。
実は彼の思想は、
いわゆる王道といわれる歴史書(日本書紀など)だけではなく、
地域の伝承や異説といわれるものに手を出した結果できあがったものでした。
彼は、
民衆の中に広まっていた信仰や伝承、それから儀式や祭祀などを分析し、
死後の世界とのつながりを導き出しました。
つまり、彼の思想は
雑多な民衆の信仰を、宣長らが明示した朝廷の正統な記紀神話の世界とつなぎ合わせて、再編したものなのです。
だから、信ぴょう性に欠けるかもしれません。
ただ、先ほどもいいましたが、多くの門人を集め、勢力を誇ったこともまた事実なのです。
まとめ
篤胤の思想をつかんでいただけましたでしょうか。
思想の発端は
「死んだあとどうなるの?」
というものでした。
別に過激な思想を展開していきたいわけではなかった篤胤でしたが、
この復古神道は後に「国家神道」の理論として利用されてしまうことになるのです。
ただ、「幽冥界がある」
それを知るだけで安心した民たちが多くいた。
この事実が大事なのか、僕は思いました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
【参考文献】
『江戸の学びと思想家たち』(著:辻本雅史)岩波新書
『江戸の思想史―人物・方法・連環』(著:田尻祐一郎)中公新書
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