本居宣長の思想とは?【分かりやすく解説】

哲学・倫理学

こんにちは。よっとんです。

心理・哲学・倫理・歴史・読んだ本について、書いています。

今回は、国学者として有名な本居宣長の思想について書きます!

全体像が掴めるように、簡潔にまとめましたので、どうぞ最後までご覧ください!

本居宣長の生涯

1730年伊勢松坂に木綿問屋に生まれました。江戸に店があったほどの裕福な商屋でした。

11歳の頃、父が亡くなってしまうのですが、父を継承することが期待されて、

商人なるための修行をします。

18歳(or19歳)時には、紙商今井田家(婿)の養子となるのですが…

ただ、商売が宣長には合わなかったみたいです(笑)

途中で挫折して、商家を離縁されます。

離縁された頃から、和歌を詠み始めました

それから、母の勧めで医者を目指します!いざ、京都へ!

京都遊学は5年半に及びます。この頃の経験が国学者本居宣長を創出します

まず、医者を目指すには当然、文字の読み書きが必要でした。

朱子学者であった堀景山(近世儒学の祖といわれる藤原惺窩の弟子四天王の一人、堀杏庵(ほりきょうあん)の曽孫にあたります)のもとで学びます。

堀景山は、荻生徂徠とも書簡を交えるほどの親交があり、

宣長は、ここで*古文辞学の学問に接する態度を学んだとされます。

古文辞学…秦漢期の古い文章や文辞を、後世の解釈を通してではなく、直接読み取るべしという立場をとる徂徠から始まる学問。徂徠学とも蘐園学派(けんえんがくは)とも。

堀景山は、さらに国学の祖といわれる契沖の国学にも造詣が深かったので、

宣長はここで国学の書物に触れることになったとされます。

ちなみに、京都遊学中の日々は『在京日記』という宣長が書いた日記にのっています。

実際に、宣長が京都で行ったことをまとめると・・・

  • 歌会への参加
  • 顔見世などの芝居見物
  • 物見遊山
  • 宴会
  • 遊郭通い

すごく遊んでいるのがわかりますね(笑)

また、この日記は今まで使用していた漢文ではなく和文で書かれているのも面白いところです。

当時、漢文はいわゆる学術用語でした。学問するにはどうしても漢文が必要になります。

江戸時代の学術書の多くは儒学的な思想が下敷きになっていますから、

漢文を学ぶことは結果的に(無意識のうちにでも)儒学的な思想が身に染みてしまうことになります。

ただ、儒学の思想で、宴会や遊郭の体験を表現できるかといえば…難しいですよね(笑)

なぜなら、儒学は「人はこう生きるべき」とか「親を敬え」という人間関係論・道徳論が中心ですので。

そういう意味でも、宣長は和文を採用したと考えられます。

江戸時代の思想史研究家で、『江戸の学びと思想家たち』の著者の辻本雅史さんは、

「それまで抑制していた感情が、和文体に転じたとたん、臆することなく記されるようになった。遊郭行きの記述も少なくなかったようだが、その箇所の多くは、後に何者かの手によって破棄された。現存の『在京日記』では「欠損」扱いとなっている。宣長の周辺にいる者にとって、他人には知られたくない内容が書かれていたにちがいない」

『江戸の学びと思想家たち』著者:辻本雅史

と記しています。

もしかしたら、宣長は父を亡くして以降、「家業を引き継がなくては」という思いがあり、

自分の感情をあらわにしてこなかったのかもしれません。

それが、京都遊学で親元・家業から離れたことで、噴出したのかもしれませんね。

本居宣長の思想の特徴は、「感じる心」を人間の本質としているところです。

詳しくは、後ほど説明しますが、朱子学や儒学で説かれる

「人とはこうあるべき」という人為的で理屈っぽいもの(漢意(からごころ))ではなく

人が本来持っている自然な感情(真心、もののあはれ)を重視しています。

その思想の萌芽は、京都遊学の宣長の行動から生まれたといえるでしょう。

さて、宣長の生涯に話を戻します。

京都の遊学を終えた宣長は、27歳の時に松坂に帰り、医者として生計をたてます。

ただ、夜は古典研究をしていました

また『源氏物語』や『伊勢物語』の講義を行ってもしました。

33歳の時、ある人に出会ったことが宣長のその後の古典研究にさらに勢いをつけます。

その人物こそ、賀茂真淵です。

万葉集の研究で有名な国学者です。

彼は万葉集から

「ますらをぶり」(男性的で荒々しい気風)や「高く直き心」(高貴で真っ直ぐなおおらかな心)を見出し、

儒学や朱子学で説かれる人為的な道ではなく、

自然の道こそが日本古来の道(古道)であると説いています。

詳しく知りたい方は以下の記事をどうぞ!

賀茂真淵から宣長は、出会った後6年間手紙で指導をうけました。

本居宣長といったら古事記研究が有名ですが、古事記の研究はこの手紙のやり取りの中で賀茂真淵にすすめられたものでした

すなわち、このやりとりがきっかけで大著『古事記伝』を書き始めることになるのです。(約35年間かけて全44巻が完成)

途中、52歳で自宅の2階を書斎にし、収集した鈴を飾り、

「鈴屋」(すずのや)と称し、国学研究と500名ほどの門弟への講義をしています。

以上、簡潔ではありますが、宣長の生涯でした!

宣長の思想1「古道論」

宣長の思想は大きく分けて二つです。

  1.  *記紀研究から見出した「古道論」
  2.  源氏物語や和歌の研究から「もののあはれ論」

*記紀…『古事記』と『日本書紀』のこと。『古事記』は日本の神々から天皇に至る系譜について、『日本書紀』は古代の歴史(天武天皇まで)について書かれています。

先に1の古道論から説明しましょう。

宣長は契沖の書、それから賀茂真淵と出会いから、

古(いにしえ)の人の心を知るには、古の言葉を理解する必要があることを説いています。

  *其説に古の道をしらんとならば、まず古の歌を学びて、古風の歌をよみ、次に、古の文を学びて、古ぶりの文をつくりて、古言をよく知て、古事記・日本紀をよくよむべし。古言をしらでは古意はしられず、古意をしらでは、古の道は知がたかるべし。

『初山踏』

*其説…賀茂真淵の説

よって、古文辞学と同じ手法で、まず古典の「言語」の研究をしたうえで、古典の研究をすることにしました。

そして、主に記紀の研究をした宣長は、

「惟神(かんながら)の道」というものを見出します。

これは、神代から伝わる、人為の加わらない道のことをいいます。

具体的には、神の不可思議さ、霊妙さがあらわれた風儀や制度、習俗のことです。

そこには、朱子学で説かれる善悪・正直・誠実という人為的な価値観の入る余地はありません。

神々はそういう価値を超えた雅さ、霊妙さをもっています。

人間の道徳や規範から切り離された、神々の道、

これが惟神の道であり、宣長の説いた古道ということになります。

しかし、江戸時代の主流は朱子学です。

朱子学では、天地自然にもともと存在する「理」に沿った生き方を求められます。

詳しくは以下のリンクからご覧ください。

儒学・朱子学では、理屈っぽい人為的な道徳が説かれています。

例えば、

  • 「年上を敬わなければならない」とか
  • 「欲望を抑えることが善である」とか

人間関係に基づく道徳が重視されます。ただこれは、人がつくりあげた価値観です。

宣長はこういった人為的な、賢しらな心、理屈っぽい心を

「漢意」(からごころ)といい、神々の道には無かったものとして批判しています。

すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるようなる理屈は、露ばかりもなく、ただゆたかにおおらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける。

『古事記伝』

神々の不可思議なさま、霊妙なさまを、私たちは生活の中で実感し、受け取っていく、

実際それが具体的には何なのか、それは人間ごときには理解ができないものです。

逆に、それを理解しようとする行為、あるいは、人間で勝手に善悪を決めてしまう行為

即ち儒学・朱子学の道徳観に基づく行為は、そういった雅さ、霊妙さを乾燥させてしまう行為なのです。

ただ、ありのままの感性に従う。

本来の古道はこの「真心」(まごころ)に基づいたものです。

真心とは、生まれたままの純粋な心情のことです

これは、もののあはれ論にも通ずるものです。

では、次にもののあはれ論を見ていきましょう。

宣長の思想2「もののあはれ論」

繰り返しになりますが、本居宣長は「真心」(自然な感情)を重視していました。

なぜなら、漢意より真心に従うありかたの方が人間らしいからです。

具体例を出しましょう。

朝起きたあなたは本当はまだ寝たいが、通勤しなくてはならない状況があるとします。

ここで、もう一度寝ることを選択したとしましょう。

その行為は、朱子学でいえば悪です。

なぜなら、自分の欲(寝たい!)を抑制できていないからです。

朱子学は自分の感情や欲を抑制すること(敬)を善い生き方として重んじていました。

ただ、ここで考えてみましょう。

寝たいのに、寝ない、

これは、本当に「人間らしい」でしょうか?

人間らしい行動はもしかしたら「したいと思ったことを、する」方かもしれません。

眠たいときに寝て、食べたいときに食べて、そして好きな人に会ったら好きと言う・・・

こういう「したいことを叶えていく」。

考えようによっては、こちらの方が人間らしいともいえるのではないでしょうか

現代でもそうですが、

「時間を守ること=善いこと」ですよね。

ただ、時間を守ることが善いと、だれが決めたのでしょうか?

神でしょうか?仏でしょうか?・・・おそらく人類ですよね。

自分を律することは確かに立派な行為ですが、

時間に束縛されて生きる生き方、これは本当に人間らしいか・・・

改めて考えなおす必要があるかもしれませんね・・・。

脱線しました!!ごめんなさい。話を戻します!!

宣長が重んじた真心にも通ずる感性

「もののあはれ」です。

これは「ものにふれたときに生ずる自然な情」のことをいいます。

何か綺麗な景色、素敵な人にであったときに皆さんは、

「ああ、きれい!」

「ああ、素敵!!」

「ああ、かっこいい!」

など、、、つい言葉に出てしまうと思いますが、

その「ああ」の瞬間がまさに「もののあはれ」です。

詳しく言えば、

「あはれ」は「ああ」と「はれ」からきているそうです。

  • 「ああ」:ものに触った時の感嘆・驚き
  • 「はれ」…「ああ」の後に、息を吸い込む音

「あはれ」は未だに未だ価値や反省が介入する前の瞬間です

だから、「もののあはれ」は人間の自然な感情=「真心」といえるでしょう

補足になりますが、

宣長はこの「もののあはれ」を特に『源氏物語』から見出しています。

『源氏物語』といえば、主に主人公の光源氏が様々な女性と恋するお話で有名です。

朱子学からしたら光源氏の行為は悪ですよね。

自分の恋心を抑制できない、「欲望の権化」みたいな主人公ですもんね(笑)

実際、江戸期に『源氏物語』は淫乱の書として排撃されていました

ただ、光源氏の行動は、恋したいときに恋をする真心に基づくものです。

そしてその恋の中には、「もののあはれ」があふれています

宣長が、素直に人情のままに行動する『源氏物語』を肯定する書物として取り上げたことは

当時は画期的なことでした

まとめ

宣長の思想の全体像は掴んでいただけましたでしょうか?

 彼は古典の研究から、漢意ではなく、真心を重視することを主張しました。

具体的に言うと、

『古事記』『日本書紀』から不可思議でおおらかな神々のはたらき(古道=惟神の道)があることを、

『源氏物語』や他の和歌研究から素直な感情・感動(「もののあはれ」)があることを知った宣長は、

中国由来の「漢意」は理屈っぽいもので、日本由来の「真心」こそ人間らしさ、素直さだと結論した、

ということになります。

長くなりましたが、読んでいただき誠にありがとうございました。

以上、本居宣長ついてでした!

【参考文献】

『江戸の学びと思想家たち』(著:辻本雅史)岩波新書

『江戸の思想史―人物・方法・連環』(著:田尻祐一郎)中公新書

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