賀茂真淵の思想とは?【分かりやすく解説】

哲学・倫理学

こんにちは。よっとんです。

哲学倫理・歴史・心理、それから本紹介のブログを書いています。

今回は、久々に日本思想史に戻って賀茂真淵を扱います。

彼の説いた「ますらをぶり」とは何なのか?

その辺りを中心に紐解いていきましょう。

ぜひ最後までご覧ください。

賀茂真淵の生涯は?

まず簡単に賀茂真淵がどんな人物なのかご紹介します。

彼は、遠江とおとうみ伊場村(現静岡県浜松市)で賀茂神社禰宜ねぎの子として生まれました。

禰宜とは神職(神社で働く者)の一つで、宮司(神社のとトップ)を補佐する役です。

その後、養子になったり、二度の結婚したりと、転々とします。

その間に、古文辞学派の太宰春台だざいしゅんだい門下の学者に漢籍を学び、その他詠歌も学びました。

31歳の頃までには上京し荷田春満かだのあずままろ(国学者で有名)、その後、甥の荷田在満ありまろに学びました。

在満は『新古今和歌集』を重んじたことで有名です。

特に、和歌の非政治性を説いています。

しかし、賀茂真淵が重んじたのは『万葉集』でした。

さらに、和歌は政治的に活用できるものでもあることを示しました。

これが当時の幕府を含めて注目を浴びることになり、

賀茂真淵は、田安宗武たやすむねたけ(8代将軍徳川吉宗の子で、寛政の改革で有名な松平定信の父)に召し抱えられることになり、彼に和学(国学)を教えることになるのです。

63歳で隠居しましたが、その後も『万葉考』や「五意考」(『文意考』、『歌意考』、『国意考』、『書意考』、『語意考』の五つ)

を完成させるなど、国学の確立につとめたのでした。

賀茂真淵の思想とは?

つづいて、賀茂真淵の思想を見ていきましょう。

先ほど生涯のところでも言いましたが、彼は『万葉集』を重んじています。

『万葉集』を研究した結果、そこに当時の日本人とはかけ離れた立派な精神があることを発見しました。

それが、「ますらをぶり」「高く直き心」です。

「ますらをぶり」とは男性的で荒々しい気風のことです。

「高く直き心」は自然で素直で大らかな様子です。

ただ、これだけ説明されてもわからないと思いますので、実際に『万葉集』の第一巻最初の詩を見てみましょう。

もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます 家聞かな 名告らせね そらみつ
大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも

はい。全く分かりませんね。

説明します。

「カゴもいいカゴを持ち、フクシ(花を摘むためのヘラのこと)もいいフクシを持つ、この岡で菜をお摘みの娘さんよ、家を聞きたい、名のっておくれ。
この大和はことごとくわたしがすべている国だ。すみずみまでわたしが治めている国だ。わたしこそ告げよう、家も名前も」

というのが現代語訳になります。(参照:『万葉集』「日本古典文学全集2」小学館)

これの面白いところは、主人公がなんと、

天皇である、というところです。

「この大和はことごとくわたしがすべている国だ」と書いていますので、これは天皇が詠んだ詩ということになります。

そうなんです。

この詩の正体は、

天皇が花を摘みに来た高貴そうな女性をナンパしたい」というものなのです!

しかも、ただのナンパではありません。

当時、名を聞くことは求婚を表していました。

だから、菜を摘みに来た女性の名前、家を聞きたいということは彼女と結婚したいという意志の表れなのです。

そして、詩の後半、天皇の行動が何ともかっこいい。

「自分は天皇だ!

この大和は私が全て治めているのだから、私から名と家を名のろうじゃないか!!」

かっ、かっこいい‼(笑)

すごく「ますらをぶり」が発揮されていると思いませんか?

駅前でナンパをしてきてくれ、と言われただけでも現代の男性はなよなよしてしまいますよね。

当時の天皇(※恐らくこの詩の天皇は雄略天皇であり、古墳時代のものとされます)は、求婚したければするのです。

そこに迷いもないし、他人の目も気にしません。

ここには「高く直き心」も見えます。

自然で大らかな様子です。

ちなみに、先ほどあげた引用文は万葉集の第一巻の最初の文章です。

万葉集を貫く気風がこの文章によく表れています。

最後に、賀茂真淵がなぜ「ますらをぶり」や「高く直き心」を説いたのかを述べていきたいと思います。

なぜ「ますらをぶり」を主張したの?

賀茂真淵が生きた時代の主流の学問は朱子学でした。

朱子学は中国由来の学問で、元々は儒教からできたものです。

内容を簡単に説明すれば、

「この世界には理や秩序がある、その秩序に則った生き方、特に上下関係を重んじしょう」というものです。

詳しくは以下のものをご覧ください。

賀茂真淵は中国由来の思想(儒教・仏教、特に朱子学)を「からくにぶり」といって批判しています。

朱子学は「上下関係を重んじましょう」とか「これは人間として善い行為、これは恥の行為」と説くものでしたから、

とても人為的で理屈っぽいのです。

人間がつくりあげる善悪に沿う生き方ではなくて、

もっと自然な生き方をすべきである、と賀茂真淵は考えました。

そこで、茂真淵は外来思想が入る前の日本の古典を学ぼうと考えました

そして『万葉集』から、日本の古来からの自然な道(=古道)があること、

すなわち「ますらをぶり」や「高く直き心」があることを明らかにしたのです。

この精神は、中国思想による人為的な価値観が入る前の純粋なものです。

先ほども見ましたが、「結婚したい」と思えば結婚を申し込む、

ここには誠実さが見て取れますよね。

江戸時代の武士は感情をあらわにすることや欲に負けることを悪あるいは恥と考えていましたので、

「結婚したい」という感情をそのまま露出することは善い行為と言えなかったのでしょう。

賀茂真淵はそうした漢学の教えではなく、和学の古き良き精神を重んじたのでした。

まとめ

賀茂真淵の生涯と思想はいかがだったででょうか。

現代の日本人も他人の目線を気にしたり、

感情を出すことを我慢したり、

好きな異性になかなか声がかけられない人が多くいると思います。

ただ、昔は違ったのです。

賀茂真淵の説いたように、「ますらをぶり」や「高く直き心」がありました。

男性的で荒々しい気風、そして大らかな様子、

この誠実さを教訓にしてみてはいかがでしょうか。

以上、賀茂真淵についてでした。

ご覧いただきありがとうございました。

参考文献を載せておきます!

【参考文献】

『江戸の学びと思想家たち』(著:辻本雅史)岩波新書

『江戸の思想史―人物・方法・連環』(著:田尻祐一郎)中公新書

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