浄土教とは?【分かりやすく解説!!】

哲学・倫理学

今回は浄土教とは?というお話です!

そのお話をするうえで、

  • ・そもそも浄土教は仏教なのか??
  • ・浄土って何?
  • ・阿弥陀がいるのは何で?

という3点に絞って説明します!

今回もよろしくお願いします!!

そもそも浄土教は仏教?

仏教はゴータマ・シッダッタ(釈迦、釈尊などともいう)が説いた教えとされます。

シッダッタは、

自力で煩悩を断ち切り、涅槃に至るべき

ということを説いています。

つまり、本来の仏教は自力型なのです。

では、浄土教はどうでしょうか?

浄土教は阿弥陀如来に救ってもらおうという

「他力救済」

を基本とします。

だから、

シッダッタの説いた仏教とは異なるものです!!

ええ?

と思われたかもしれませんが、

原点と異なって広まってしまったことに理由は以下のリンクを参照ください

初期仏教と大乗仏教の違い

ただ、共通点もあります!

それは、

最終的には涅槃へ至ることを目指す点です。

前置きが長くなりましたが、2から本格的に浄土教の説明に入ります!

浄土とは?

そもそも「浄土」とは何でしょうか。

簡単にいえば、異世界です。

仏教では、

我々の世界の他にも、たくさんの世界が存在すると考えました。

そして、

その世界ごとに如来(修行を完成させた者)が存在するとしました。

その中で、

浄土は、我々の世界から西の方にあるとされます。

(中国を含め東アジアから、インド(天竺)が西にあるからという理由?)

そして、

我々の世界とは違って、しがらみがなく、邪魔がないので、

めちゃくちゃ修行に適した場所です。

仏教界ではまさに天国です。

だから浄土のことは「西方極楽浄土」といいます。

そして、そこの住人が阿弥陀如来です。

というより極楽浄土は阿弥陀如来がつくった場所なのです。

どういうことか、3で見ていきましょう。

阿弥陀の願い(本願)とは?

阿弥陀如来とは何者なのか、

そもそも、如来とは、簡単に言えば「修行を完成させた者」を意味します。

仏陀(ブッダ)」(=悟りを開いた)なら知っているかもしれません。

このブッダと厳密には異なりますが、ほぼ同意です。

ゆえに阿弥陀如来は「阿弥陀仏」ということもあります。

そして如来になるまでの修行中の身のことを菩薩といいます。

もちろん、阿弥陀仏も菩薩のときありました。

名前は「法蔵菩薩」です。

法蔵菩薩は、熱心に修行をしました。

そして、まもなく如来になれるところまできました。

しかし、

彼は、如来(仏陀)になる前に「ある誓い(本願)」を複数個たてます。

最も有名なものが18番目の誓い。

それは、

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国(西方浄土のこと)に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決して悟りを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。

というものです。

法蔵菩薩は自分だけ如来になるのは絶対に嫌で、

衆生(生きとし生けるもの)に成仏してほしいという強い気持ちをもっていました。

だから、先ほどの誓いをたてたのです。

そして、この誓いは認められ、

その結果、

浄土は極楽浄土となる、

即ち衆生が生まれ変わることのできる世界へと変貌したのです。

彼は、極楽浄土の地で私たちが十念、

つまり十回念仏してくれる(阿弥陀の名を唱える)ことを待っているのです。

私たちがすべきことは?

さて、もう一度まとめておきます。

阿弥陀如来は我々を救いたいがために、誓いを立てました。

その誓いは叶いました。

つまり、十念すれば、衆生は阿弥陀のいる世界(浄土)へ至ることができるというこです!!

阿弥陀仏は

西方極楽浄土で皆さんを救うために待っているということです。

じゃあ、私たちがやるべきことはわかりますよね。そうです。

「南無阿弥陀仏」(南無=帰依する)

と唱えるだけです。

これが浄土宗、浄土真宗で主にやるべきことです。

あら、簡単。そうです。簡単なんです。

浄土教の基本的なスタンスは、

阿弥陀が救いたいと思っているから、救っていただこう

というものです。

完全に他力です。

ただ皆さんの中には、

・「ええ、でも自分で何かしないと」

・「結局、阿弥陀は善い人しか救ってくれないんでしょ」

などと思うかもしれません。

大丈夫です!!

阿弥陀は阿弥陀を信じた者なら、どんな人でも救ってくださります。

阿弥陀は善人・悪人問わず救うのです。

(そもそも、その善悪も人間にとっての善悪で、阿弥陀にしたら無関係ですので。)

そして基本的には他力救済です。

私たちは、阿弥陀にすべてをゆだねて、

ひたすら「南無阿弥陀仏」ということで、

死後、輪廻して、西方極楽浄土に行くことができるということです!!

どうですか?魅力的では??

西方極楽浄土はGOALではない?

ただ、間違ってほしくないのは、西方極楽浄土はGOALではありません。

仏教の目的は自力で修行して煩悩を消し、涅槃へ至ること、

輪廻の苦しみから逃れることです。

先ほどもいいましたが、

西方極楽浄土は、邪魔がなく、めちゃくちゃ修行のしやすい世界です。

阿弥陀如来はあくまでも西方極楽浄土という世界に導いてくれる存在です。

その後は、そこで皆さんは修行するのです。

ただ、極楽浄土は、めちゃくちゃ修行できる場所なので、

結果的には、涅槃へ至ることがほぼ確定らしいです。

だから安心して、極楽浄土へ輪廻してください。

最後に

阿弥陀如来の想いは、

皆を涅槃へ導きたい

というものです。

彼はみんなを導いた後、涅槃へ来るのでしょう。

その想いに答えるかはあなた次第です!

さあ、皆さん一緒に

南無阿弥陀仏!!

よんでくださり、ありがとうございました!!

※補足:口称念仏と観想念仏など

実はここでは、念仏=「南無阿弥陀仏」と唱えること(=口称念仏)のように書きましたが、念仏は他にもたくさんあります。

高校倫理では「観想念仏」を覚えるといいと思います。

これは浄土を思い浮かべるというものです。この観想念仏は源信が主に説いています。平安時代の貴族の趣味とマッチして、浄土芸術が花開くことに繋がっています。(平等院鳳凰堂や来迎図など)

口称念仏の代表者は空也、法然、そして親鸞でしょう。

【参考文献】

『大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか』(著:佐々木 閑)NHK出版新書

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