「高校倫理」になぜ杉田玄白?

哲学・倫理学

こんにちは。

哲学倫理・心理・歴史系、それから本紹介のブログを書いています、よっとんです。

今回は、医者である杉田玄白がなぜ「高校倫理」に載っているのか・・・

という、とってもとってもマニアックな疑問に答えようじゃないか!!というものです。

高校の倫理といえば、ソクラテス・プラトン・アリストテレスなどの哲学と

キリスト教・イスラーム教・仏教などの宗教が主に載っています。

つまり、メインは「思想」ということになります。

昔の人が何を考えたか学ぼう」というものが倫理の主な内容です。

杉田玄白に代表的な思想が全くなかったというわけではないと思いますが、

彼の功績は何といっても『解体新書』という翻訳書をつくったことです。

しかし、これは医学の領域、強いて言えば歴史(日本史)で学ぶことです。

「杉田玄白は『解体新書』をつくった」と。

医学的な成果、科学の成果を倫理の教科書に載せていては、倫理と日本史はほぼ同じになっちゃいます。

そこで、なぜ杉田玄白が倫理の教科書に載るようになったのか、私なりに分析してみました。

「杉田玄白なんて知らない!!」と言う人にもわかるように説明しますので、ぜひご覧ください。

ではいきましょう。

『解体新書』=倫理?

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/Kaitai_shinsyo01.jpgより

一度は聞いたことのある杉田玄白、

繰り返しになりますが、彼は医者です。

そして、有名なのは何といっても、『解体新書』!!

これは、ドイツの学者ヨハン・アダム・クルムスの解剖学入門書の、

オランダ訳版『ターヘルアナトミア』を日本語に翻訳したものです。(ちょっと複雑ですね)

ただ、これだけでは

「杉田玄白は『解体新書』をつくった。」

で終わります。

確かに『解体新書』は偉大なものです。

これまで医学書は東洋由来のものばかりでした。

東洋医学では、基本的に手術は行われません。

すごく簡単にいえば「内臓を色で区分けして、色にあった食物を摂る」という感じでした。

だから、杉田玄白の頃まで内臓がどこにどういう風にあるのか、それがわからないのです

『ターヘルアナトミア』にはそれが載っていました

杉田玄白と前野良沢が初めて『ターヘルアナトミア』を読んだとき、

身体の中を見たくなりました。

ただ、手術は日本では厳禁でした。

そこで、彼らは驚くべき行動に出ます。

なんと、処刑場へ行って死体の身体を解剖したのです!

彼らは、「『ターヘルアナトミア』に載っている通りだ!!」と興奮したことでしょう

早速、翻訳作業に入りました。

こうして出来上がったのが『解体新書』になります。

医学的な功績を考えれば、これはとてもすばらしいことです。

しかし、何度も言いますが、これは思想と言うより歴史です。

だから、倫理の教科書に載っているのには、また別の理由があるのです。

さて、次に本題の答え合わせをしていきましょう!!

杉田玄白のおかげで、○○ができるように!!

ファイル:Sugita Genpaku.jpg
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_a0252/bunko08_a0252.pdfより
Ishikawa Tairō (石川大浪) – Waseda.ac.jp

さて、今回の疑問にお答えしたいと思います。

「なぜ杉田玄白が高校倫理の教科書に載っているのか」の疑問にお答えしましょう。

その答えは

『蘭学事始』という玄白の回想録にあります。

簡単に言ってしまえば、日記です。

実はこれ、先ほどの『解体新書』の執筆期の苦労話が書かれているのです。

「○○というオランダ語、全然わからなくてさぁ~。これは結局△△という日本語だったのよ~。」

という感じのことが書かれています。

つまり、『ターヘルアナトミア』のオランダ語が難しすぎて、それをに日本語にするのが大変だったんだ、という苦労話が主に書いてあるのです。

確かに、当時はオランダ語の辞書がないので、普通のオランダ語を日本語にするのでも大変なのに、

解剖の専門書を日本語とするとなると・・・なおさらですね。

さてさて、これが何故倫理と関係してくるのか・・・

それはこの『蘭学事始』がオランダ語の入門書になったからです!!

つまり、オランダ語を学ぶ際のテキスト、ということです。

当時は、オランダ語を学ぶために辞書はもちろん、教科書もありませんでした。

杉田玄白の『蘭学事始』はオランダ語を日本語にたくさん訳してあるので、

テキストにはぴったりだったのです。

「えっ?まだ倫理と関係ないじゃん??」

いやいや、

このオランダ語を学ぶということは、日本に今までなかった革新的な思想が入ってくるうえでとても重要なのです。

そのキーワードが「実学」です。

実学とは、実用性のある学問のことをいいます。

日常で使える学問ってことですね。

具体的に言えば「科学」のことです。

江戸時代前期の日本人には基本的に科学の考え方はありませんでした。

思想は朱子学がメインであり、宗教は仏教などがあるだけで、

実験をして、何かを検証するという科学的な思考の下地がありませんでした。

そこに実証主義に基づいた実学をもってきたのが、外国人でした。

江戸期は鎖国中でありましたので、貿易は限定されていましたが、

日本は当時覇権国家だったオランダとは交易を続けていました

つまり、

「オランダ語を学ぶ=実学を学ぶことができる」

ということになります。

実学を学ぶことは、日本に「科学的精神」下地をつくることに繋がります

だから、科学的に物事を考える人が増えるということになります。

この影響は幕末にまで及びます。

日本は、東洋の遅れた技術ではなく、西洋技術を取り入れようとします。

それは朱子学的な判断ではなく、あくまでも科学的な思考に基づいた判断です。

道徳的価値よりも、実用性をとったわけです。

そして、その態度は明治維新に繋がります。富国強兵、殖産興業・・・

私はこの歴史の前提として「実学」の受容があったと思っています。

実学を学ぶようになったことで、日本に科学的な思考様式が育まれたのではないでしょうか。

これは倫理ですね。思想に関わることですから。

まとめ

まとめましょう。

杉田玄白の『蘭学事始』の出版により、蘭語を学ぶ。

⇒蘭学(実学)を学ぶことに繋がる。

⇒実学的な思考様式が生まれてくる

⇒だから、杉田玄白は高校倫理で学ばなければならない。

という結論になります。

いかがだったでしょうか?

杉田玄白は『解体新書』だけと思っていた人は、少し杉田玄白の見方が変わったのではないでしょうか?

ぜひ参考にしてください。

ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。

でも、「高校倫理の教科書」に載っているのです…

だから、医者が載る余地があるのやら…きっと彼

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