うちの夫婦は変?【夫婦のあり方について】

哲学・倫理学

こんにちは。よっとんです。

心理・歴史・哲学倫理、それから本紹介のブログを書いています。

今日は、「うちの夫婦は変?」というテーマの不定期な雑記ブログになります。

この記事を書いたのには次のような理由があります。

僕と妻が二人とも仕事を終えて、一緒に食事をしている時、妻からよく次のような話がでてきます。

妻「職場の人にうちのことを話すと、「変わってるね!!」とかって言われるんだよね。」

僕「へえ~。」

僕はふと思いました。

(あれ、うちって一般的ではないのかな・・・?)

そこで、

今日はうちでの「普通」だったこと、そして「変わってる」と言われたことをお伝えします。

この記事を目的は、この記事をよんだことで皆さんの中に

「あぁ、こういう選択肢もあるのね。」と選択の幅が広がってくれればと思っております。

僕は家事が好き

まずは、基本的に僕が家事が行うことです。

この理由はシンプルで、僕が家事をすることを苦痛に思っていない、むしろ好きであることです。

妻は家事ができないわけではありません。

でも僕は家事が好きなので、僕がするのです。

まず、料理ですが、

僕は料理がすこぶる大好きです。

自分の好きな日に好きなものを作って食べることができる、これは至福なのです。

それから、自分の健康管理を自分でできるのも料理を作る理由です。

「今日はお昼は炭水化物摂りすぎたから、夜はたんぱく質多めで・・・」

など、自分の体調を自分でコントロールできないと嫌なのかもしれません。

だから、料理に関しては、ほぼ365日僕です。

次に掃除ですが、僕は掃除も好きです。

一度やると、とまらない派です。

さらに、沢山溜めずに、毎日でもコツコツやりたい派でもあります。

例えば、お皿も溜めずにすぐ洗います。

洗濯も同じ論理になります。

「溜めたくないからやる」ですね。

洗濯には感情はありません。もはや習慣ということになります

さて、妻はどうなのかと言うと、家事はできないことはありません。

ただ、できる限りやりたくない派です。面倒くさいらしいです。

でも、うちは別に僕がやりたいので、いいのです。win-winなのです。

これはどっちかが優れているとかではないと思います。

そういう趣味嗜好の人たちが結婚したということなのだと思います。

だから、決して、

「妻が家事をするべきものだ」ということを前提に書いたものではありませんし、

この記事を盾にして夫に家事をやらせてほしいというものでもありません。

また、決して「僕って凄いだろ!」と自慢したわけでもございません。

ただ、僕は家事をするのが得意というだけなのです。

The 自由

うちの基本理念は、「自由主義」といっていいと思います。

お互いに給与口座は違いますし、何を買うにも文句は言い合いません。

もちろん部屋・寝室も別ですし、食事の時以外はお互いの部屋にいます。

それから、妻は男女ともに友達が多いです。

男性の友達ともよく遊びに行っています。

時には、男の人と二人で旅行に行くこともありました。

一応、「部屋は別!!」と報告してくれました。

逆に、僕が女性の人と食事に行くときにも妻は「行ってらっしゃい」と言うだけです。

うちはそんな感じです。

とても自由なのです。お互いに干渉しないのです。

でも、これは妻が嫌いというわけではありません。

ここで一つ、哲学者を紹介します。

20世紀の有名な哲学者サルトルです。

彼は、ボーヴォワールと「契約結婚」をしていました。「逃げ恥的な関係」ですね。

ただ、「自由恋愛は保証する」というものでした。つまり浮気はOK。

実際に、サルトルは浮気をたくさんします。ボーヴォワールもします。

彼らは、恋愛と結婚を別のものと考えていたと言われています。

サルトル達に比べたら、僕らの関係は自由ではないかもしれません。

形式的には結婚していますから。

ただ、「お互いの自由を保証する」という価値観は似ているのかもしれません。

浮気してほしいとか、浮気したいということではありませんよ(笑)

「お互いに自由にやりたいことをやる!」

これがうちのモットーなのです。

これにはメリットもあります。

つい最近、妻が「近いうちに外国で働く」といいました。

「あれ?」と思われましたか?

そうです。うちは自由なので、「妻が近いうち外国で働く」ことはもう決定事項です。

僕は干渉しません。

ちなみに、そのときは

「近いうち外国で働くけど、君はどうする?一緒に来る?」という申し出でした。

そして、僕は「いいね。考えとくわ!」という返事する感じです。

この関係性は個人的には、すごくいい関係だと思っています。

逆に言うと、僕が何かに挑戦するとき、妻が弊害にならないということです。

「妻を置いてはいけない」・・・とか考えません。

お互いに挑戦したいことに挑戦しよう。

このありかたを維持できるのはとても有難いと思っています。とても気持ちが楽なのです。

もしかしたら、干渉しないということは絆が薄いからと思われてしまうかもしれませんが、私的にはそれもちがいます。

僕は妻を信頼してます。

だから、旅行いこうが、外国で挑戦しようが、ほっとくのです。

「見放す」のではなく、「手放す」。

手は握っていないけど、常に見守っている・・・その関係がうちの夫婦です。

そして、自由なあり方を変えようとも思っていないのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。

今回のものをみて、こういう人たちもいるんだ、と知っていただけたらと思います。

まあ、あまり参考にならないかもしれませんがね。

もし、同じ感じの人がいたらぜひ共有してください。

ここまでご覧いただき誠にありがとうございました!!

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