『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)とは?(わかりやすく解説)

歴史

こんにちは、よっとんです。

歴史・心理・哲学倫理、それから本紹介のブログを書いています。

本日は、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』について、ざっくりと内容をまとめていきます。

ぜひ最後まで、ご覧ください。

『東海道四谷怪談』の概要

『東海道四谷怪談』は4代目鶴屋南北のつくったもので、

もともとは歌舞伎での演目でした。

1825年(江戸時代)に初めて上演され、

その話の内容の面白さ(というより怖さ)と

南北が施した歌舞伎の細かな仕掛けにより、江戸期にはとても人気を博すものとなっていきました。

江戸期以降は、演劇や映画としても上映されています。

では物語の概観を簡単にご紹介しましょう。

『東海道四谷怪談』の舞台は、

「忠臣蔵」の討ち入りがあった頃の江戸(今の東京)の町です。

題名の「四谷」は今も東京にありますが、この地で起きたものの言い伝えが話のもとになっているそうです。

「四谷」と「東海道」(東京から京都へ通じる道)は全く関係ない場所ですが、

実は、江戸期は実際に起こったことをそのまま芝居や小説にできないということがありましたので、

あえて人名、地名、それから時代を異なる設定にしていたのです。

ただ、歌舞伎の舞台では江戸時代の生活や風習も取り入れて、発表しました。

少し複雑ですので、まとめますと、

  • 江戸期は事実をそのまま芝居や小説にはできないので、物語の設定は変えている。
  • 実際に発表するときには、江戸期の庶民に親しみやすいものにするために、江戸期の生活文化を取り入れたものにした

ということになります。

そして、この物語は「怪談もの」です。

つまりお化けがでてくるシリーズということです。

『東海道四谷怪談』では、女性がおそろしい亡霊となって、主人公伊右衛門をたたります。

ではなぜ、伊右衛門はたたられることになってしまったのか・・・

その話を見ていきましょう。

『東海道四谷怪談』 その1

江戸時代、播磨国(今の滋賀県)の塩冶家に仕えていた家臣たちがいました。

その家臣の一人が主人公の民谷伊右衛門です。

しかし、江戸幕府により塩冶家はお取りつぶしをさせられてしまいます・・・

民谷伊右衛門含め多くの家臣たちが職がなくなり、江戸へいきました。

そうした流れもあり、伊右衛門は江戸にいた前妻のお岩という女性と、もう一度よりを戻したいと思いました。

そこで、お岩の父、四谷左門にかけあうのですが、父の四谷左門は許してくれません。

怒った伊右衛門は、なんと四谷左門を殺してしまうのです!!

さて、その殺人現場を見ていた人がいました。

それが、直助(もともと塩冶家に仕えていた者)です。

直助に見られたことを知った伊右衛門は証拠隠滅のために、直助も殺そうとしますが、

実は、直助もある人を殺していました。

それは、与茂七です。彼は、お岩の妹(お袖)のいいなずけでした。

直助はお袖のことが好きで好きでたまりませんでしたので、与茂七が邪魔でした。

だから、殺してしまったのです。(怖いですね・・・)

そのことを知った伊右衛門は、直助と協力することにしました。

つまり、伊右衛門はお岩と、直助はお袖をくっつくことをお互いに応援しあう代わりに、

殺人は黙っていることにしたのです。

さて、その殺人現場にお岩とお袖がやってきます。

女性二人は自分の父といいなずけが殺されていることにショックを受けます。

そして、その様子を見ていた伊右衛門と直助が(あたかも自分たちがやったことではないように装って)、

「自分たち二人があなたたちの仇を打ちましょう!」といいます。

(まあ、そんなやついないんだけど・・・というか仇はお前らだろ!というツッコミはおいておきます。)

女性二人は納得し、お岩は伊右衛門とのちに結婚し、

直助は、一人では危ないからという言い訳をつけて、お袖ととりあえず一緒に住むことになりました

『東海道四谷怪談』 その2

お岩と暮らすようになった伊右衛門でしたが、家臣の身ではないのでとても貧しい暮らしをしていました。

さらに、お岩は息子を授かるのですが、その疲れからか体調を崩すことが多くなってしまいます。

伊右衛門はイライラがたまっていきます。

貧乏・赤ちゃんはうるさい・お岩は寝たきり・・・

お岩にもあたりが強くなっていきます。

さて、伊右衛門には使用人がいました。

その名は小平といいます。

あるとき、小平は伊右衛門の家にあった薬を盗んで、逃げました。

理由は、自分のお世話になった人物が病気になってしまったからというものでした。

ただ、小平は伊右衛門の仲間にとらえられてしまいます。

とりあえず、小平は押し入れにぶち込まれていました。

その時、伊藤家というお金持ちの家の使用人が、出産祝いということで急に伊右衛門のところへやってきます。

その使用人からお岩のためのプレゼント(薬)をもらった伊右衛門は、さらに伊藤家に招待されます。

伊右衛門が伊藤家へ赴くと、なぜか盛大なもてなしをうけました。


実は、そこには伊藤家の思惑がありました。

伊藤家の娘のお梅が伊右衛門に一目ぼれしており、ぜひ入籍してほしいということだったのです。

しかし、伊右衛門にはお岩という妻がいます・・・

伊藤家の当主は言います。

「もし、結婚してくれたら家屋敷と有り金をあげる!」

貧しい暮らしに嫌気がさしていた伊右衛門は

「お岩と別れて、お梅と一緒になります!今晩婚礼しましょう!」

と申し出を受けてしまうのです。

今晩までにお岩を追い出さなくては・・・

と伊右衛門はすぐさま帰って準備をします。

ちなみに先ほど伊藤家の使用人からもらったプレゼント(薬)は毒であり、

顔が醜くなるものでした。

帰った伊右衛門が見たお岩はすでに顔の半分が焼けたようになっていました。

全く状況を知らないお岩は自分が死んでしまうと思い、

「私が死んでも、どうか父の仇を・・・」と伊右衛門にいいますが、

伊右衛門は本性をあらわします。

「かたきなど古臭い!お前が死んだら若い嫁をもらうわ!」と。

顔がどんどんけがれていくお岩、

だんだんと伊右衛門を恨むようになっていきます。

イライラのあまり髪をボサボサと血が出るほど櫛で抜いていき、

「うらめしや、伊右衛門・伊藤家親子ものども全員地獄に落としてやるわ!」

といい、最後には自殺してしまうのです。

『東海道四谷怪談』その3

さて、自殺を知った伊右衛門はどうしたか。

先ほど押し入れにぶち込んでいた(そして一部始終を知る)小平にすべての責任を押し付けて

(つまり、小平がお岩を殺したことにして)、

小平をなんと殺してしまうのです。

この後の弔い方がなんとも残酷なのですが、

戸板の表と裏にお岩と小平の死骸をくぎ張り付けて、川に流すというものでした。

伊右衛門は「夫がいながら男をつくった」ということでお岩と小平を見せしめにしようとしたのです。(ひえ~~・・・)


さて、その後伊右衛門はお梅と祝言をあげました(結婚したってことです。)

めでたしめでたし・・・とはなりませんよね。

この後、あのお岩(と小平)の復讐が始まります。

まず、お岩は幽霊となってお梅に乗り移ります。

そして、お梅はあの醜い顔となって伊右衛門の前に現れるのです・・・

その姿に恐怖した伊右衛門は、なんとお梅の首を切ってしまいます。

その様子を見に来たのが、お梅の父伊藤家の当主でした。

しかし、今度は小平が当主に成り代わり、化けます・・・

乱心した伊右衛門は当主も切ってしまいます。

下町に身を潜めた伊右衛門でしたが、

その後も何度も化けてお岩がでてきます

伊右衛門はだんだんと追い込まれていき、本所蛇山の庵室に逃げ込んでお経を唱えていました。

さて、伊右衛門の最期はどうなったのでしょうか、

ついに次がフィナーレです。

『東海道四谷怪談』その4

場面は変わって直助サイドへ。

直助はお袖と結婚していました。

そのもとへ一人の男がやってきます。

その人物は、なんと与茂七でした!!

この与茂七は本物です。

つまり、直助が殺したと思っていた人物は与茂七ではない全くの別人だったのです。

3人は混乱します。どうしよう・・・結婚しちゃっているが、そもそもいいなずけは与茂七なはず。

直助は再度殺そうと決意しますが、お袖が一つの提案をします。

「私はあなたの妻ですので、あなたの味方をします。今日の夜、与茂七さんをお酒で眠らせますから、合図(明かりを消す)があったら、刺して殺してください。」と。

自分の見方をしてくれることにホッとした直助は、言われた通り合図があるまで待ちます。

そして、その時がきました。

行灯の明かりが消え、直助は与茂七が眠っているであろう部屋に入り、

ぐさっ・・・

刺しました。

明かりをつけると隣には同じように刃を持った与茂七がいます。

なんと刺されたのはお袖でした。

お袖は二人に同じことを言って、二人に殺してもらうという選択をとったのです。

最期にお袖は直助に手紙を渡します。

その手紙にはなんと衝撃のことが書かれていました。

直助とお袖は同じ父のもとに生まれた子・・・

つまり、二人は兄弟だったのです。

実の妹を嫁にしてしまったことを嘆いた直助は自害を決意。

そして残された、与茂七に伊右衛門がお袖の父を殺した張本人であることを暴露します。

さあ、ことの次第を知った与茂七。

もちろん伊右衛門に会いにいきます。

伊右衛門はすでに乱心状態。

与茂七は死んだと思っていたので、彼が化けて出たと思った伊右衛門は与茂七に切りかかります。

しかし、伊右衛門の祟りはまだ続いていたようで、刀が伊右衛門の手から離れてしまいます。

そこを見逃さなかった与茂七が伊右衛門を切りつけ、こうしてかたき討ちは終焉を迎えたのです。

いかがだったでしょうか。

『東海道四谷怪談』は「忠臣蔵」のかたき討ちの時代を背景として書かれたいます。

忠臣蔵」は家臣がかたき討ちをして自刃する美談の話としてまとめられましたが、

『東海道四谷怪談』はお家取つぶしで貧しくなった家臣が江戸期にはたくさんいたことが前提となっていますので、

「忠臣蔵」の裏の顔としての役割を担っていました。

それから、初めの章で歌舞伎としてもともとは書かれたといいましたが、

この『東海道四谷怪談』は三代目尾上菊五郎や七代目市川團十郎が演じたことでも有名です。

特に尾上菊五郎はお岩・小平・与茂七の3役を同時に演じて、観客を魅了しています。

お岩と小平が戸板に張り付けられたシーンは、「戸板返し」という仕掛けを使いました。

まず、板の表でお岩として登場し、裏には小平の身体部分の人形をセットしておきます。

くるんと回ると小平の人形が出るとともに、板の裏から顔だけ出して(この時かつらをとります)、

うまく同人物が二役演じていたそうです。

※詳しくは以下の文化デジタルライブラリーのHPをご覧ください。

歌舞伎・鶴屋南北|文化デジタルライブラリー
文化・文政期に江戸で活躍した4代目鶴屋南北。「天竺徳兵衛韓噺」「桜姫東文章」「東海道四谷怪談」など独特の魅力を持つ南北の世界を紹介。

こうした仕掛けを南北はいろいろちりばめて観客を惹き付けたそうです。


さて、『東海道四谷怪談』はもちろんフィクションですが、

お岩と伊右衛門(※物語は「民谷」ですが、実物は「田宮」です。)は実際にいた人物だそうです。

東京都新宿区にある於岩おいわ稲荷田宮神社にはお岩が祀られています。

ただ、四谷怪談のように怖い人物ではなかったようで、

実際にはとても仲の良い夫婦だったそうです。

ただ、夫婦は貧しかったので、お岩は毎日欠かさず稲荷様にお祈りをしていたところ、

だんだんと暮らしが豊かになっていきました。

その話が残り、田宮家の神様にお祈りするようになったことが、於岩稲荷田宮神社の始まりです。

以上、『東海道四谷怪談』についてのまとめでした。

最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

参考文献を載せておきますので、ぜひご覧ください!

『東海道四谷怪談 』鶴弥南北 

『学研まんが 日本の古典 まんがで読む 四谷怪談・雨月物語』学研教育出版 (編集), 板坂則子 (編集)

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