本日は墾田永年私財法のもたらした土地制度の変革とは?という内容です。
土地制度に関して分かりやすくまとめましたので、
ぜひ最後までご覧ください
その他の土地制度史に関して知りたい方は以下をご覧ください。
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はじめに
奈良時代の日本は、いまでいう「国が土地も人も管理する社会」でした。
これを「公地公民制(こうちこうみんせい)」といいます。
田んぼや畑はすべて国家(天皇)のものとされ、農民はその土地を借りて耕し、収穫の一部を税として納めていました。
しかし、現実にはこの制度がうまくいかなくなってきます。
農民たちは生活を守るため、また貴族や寺院は勢力を広げるために、新しい土地を開拓し始めました。
そうした状況で登場したのが、「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」です。
公地公民制の限界
当時、国は6年ごとに戸籍を作り、農民に田んぼ(口分田)を割り当てていました(班田収授法)。
農民は「租・庸・調」という税を納める代わりに、その土地を耕すことができました。
しかし、以下のような問題が生じます。
- 人口が増え、分ける土地が足りなくなる
- 戸籍が正確につくられず、割り当てができなくなる
- 農民が重税に耐えられず逃げ出す
- 開墾しても3代(本人・子・孫)しか使えない「三世一身法」では、開墾のやる気が続かない
結果として、国が理想とした「土地の一元管理」は徐々に崩れていきました。
墾田永年私財法とは何か
こうした背景の中で、743年(天平15年)、聖武天皇が「墾田永年私財法」を出しました。
内容をひとことで言えば、
「開墾した土地は、ずっと自分(または組織)のものにしていい」
というものです。
それまでの三世一身法では「3代限り」でしたが、
この法律で期限がなくなり、開墾者はその土地を永遠に私有できるようになりました。
具体例:誰が得をしたのか
貴族や寺院
この法律で最も得をしたのは、資金と人手を持つ大きな組織です。
たとえば、奈良の東大寺や興福寺などの寺院は、信者から寄進された土地や自分たちで開墾した土地を大量に保有しました。
当時の記録によれば、東大寺は近畿だけでなく九州にも広大な土地を所有していたとされます。
こうした土地は「荘園(しょうえん)」と呼ばれ、後の日本社会を動かす基盤になりました。
農民
一方、普通の農民にとっては、開墾のための資金や人手を集めるのは難しかったため、
個人で土地を私有するのはハードルが高かったのです。
多くの農民は、貴族や寺院に土地を提供してその保護下に入り、そこで耕す立場になっていきました。
これがのちに寄進地系荘園となっていきます。
墾田永年私財法が社会にもたらした変化
1. 公地公民制の崩壊
国家の「土地はすべて国のもの」という原則が事実上崩れ、私有地が全国に広がりました。国家の税収も減り、中央政府の力は次第に弱まります。
2. 荘園の拡大
寺院や貴族が所有する私有地=荘園が増加しました。後には課税を免れる「不輸の権」や役人の立ち入りを拒む「不入の権」など特権を持つ荘園が生まれ、中央政府のコントロールはさらに困難に。
3. 地方勢力の台頭
国家にかわって地方の有力者が支配力を強めるようになりました。これが武士の台頭、地方政権の誕生につながる土台となります。
「墾田永年私財法」から「荘園制」へ
墾田永年私財法は、後に続く「荘園制」への道を開きました。
たとえば、平安時代には有力貴族や寺社が荘園を経営し、そこに住む農民は年貢を納める代わりに耕作を許されました。
これが中世社会の基本的な構造となり、最終的には武士政権(鎌倉幕府など)誕生の大きな要因になります。
歴史的意義を整理すると
- 国有制から私有制への転換:公地公民制の事実上の終わり
- 荘園制の出発点:寺社・貴族による大土地所有の拡大
- 権力の分散:中央政府の力が弱まり、地方有力者が台頭
つまり、墾田永年私財法は単なる農地政策ではなく、日本社会全体の仕組みを変えるきっかけだったのです。
まとめ
「墾田永年私財法」という名前は難しく聞こえますが、内容はシンプルです。
「開墾した土地を、ずっと自分のものにできる」というルールができたことで、
国が土地を一元管理する仕組みが崩れ、
寺社や貴族が力をつけ、やがて荘園制と武士の時代へつながっていったのです。
もし現代に置き換えると、
国有地の開拓をした人や企業にその土地を無期限に譲渡するようなイメージです。
国家の力は弱まり、民間が力を持つようになりますよね。
このイメージを持つと、墾田永年私財法がどれだけ大きな変化をもたらしたかわかるはずです。
このように、墾田永年私財法を理解することは、日本史全体の流れ―律令国家から中世封建社会への転換―をつかむうえで欠かせないポイントです。
ぜひ今回の記事を参考にして、中世社会までの土地制度に関する知識を深めてください。
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