デカルトという名前、一度は聞いたことがあるかもしれません。
彼は今から400年ほど前のフランス人です。
哲学者、数学者、物理学者と、いろんな顔を持っていました。
デカルトの考え方は、その後の世界中の考え方に大きな影響を与え、「近代哲学の父」と呼ばれるほどの人になりました。
結論から言えば、
・「どうやって私たちは世界を知るんだろう?」
・「どうすれば本当に正しいことを見つけられるんだろう?」
という、根本的な問いに新しい答えを出した人だと言えます。
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「我思う、ゆえに我あり」ってどういうこと?
デカルトの考えの中心には、「理性で考えることこそが大切だ!」という考えがあります。
彼は、目で見たり、手で触ったりする情報(感覚)は当てにならないと考えました。
理由は簡単で、私たちの感覚はよく間違えるからです。
まず、私たちは現実にいるかような感覚で夢を見ることがあります。
つまり、夢を見ている時と現実の区別が分からなくなりますことが多々あります。
今この文章を読んでいるのは「夢の自分か?現実の自分か?」を証明することはとても困難です。
他には、錯覚をよくします。
黒い物体が地面を動いているを見て、(本当はただのホコリだったとしても)「蟻だ!」と誤認することがよくあります。
だから、デカルトは感覚は当てにならないと考えました。
それでは、「絶対的なものは何か?」
彼は「すべてを疑ってみて、それでも疑えないものこそ絶対的なものだ」と考えました。
その結果、どれだけすべてを疑っても、「疑っている自分」だけは確実に存在しているということに気づきました。
これが有名な「我思う、ゆえに我あり (Cogito, ergo sum)」という言葉です。
つまり、「考えている私がいなければ、疑うこともできないんだから、考えている私は間違いなく存在する!」と彼は確信したわけです。
これは、「自分の精神(心)」がすべての出発点になるという、とっても新しい考え方でした。
※デカルトの目標は「絶対的な私」から神の存在を証明することでした。
デカルト自身が数学者であったがゆえの性格なのか、
「証明」をするにはその前提条件が絶対的に正しいものでなければならないと考えていました。
だから、まず「絶対的なもの」を証明し、そこから神の存在を証明しようとしたのですが、
その後は意味不明な証明になってしまったといわれています。
※ちなみにデカルトは合理主義の祖といわれますが、
この点について、これは後の人の評価であって、デカルト自身がそれを自覚していたわけではないようです。
体と心は別もの? デカルトの「二元論」
デカルトは、「考えている自分」(心)と、「体の自分」(体)は、はっきりと別々だと考えました。
心は、思考したり、感じたりする目に見えないもの。
体は、場所を取る目に見えるものです。
この「心と体は別のもの」という考え方(二元論)は、人間がどういう存在なのかを考える上で、大きな影響を与えました。
しかし、同時「では、心と体ってどうやってつながってるの?」という、今でも多くの人が考える難しい問題も生み出すことになりました。
数学にも革命を起こしたデカルト
デカルトは、哲学だけでなく、数学でもすごい業績を残しました。
彼は「解析幾何学」という分野を作りました。
これは、図形を方程式で表せるようにした画期的な方法です。
私たちが学校で使う、横軸と縦軸のグラフ(座標)ってありますよね?(X軸・Y軸のこと)
あれを使うと、複雑な図形も数字で表すことができるようになります。
この考え方の基礎を作ったのがデカルトなんです。
今の科学や工学では当たり前に使われているグラフも、彼の発見のおかげです。
今の私たちにもつながるデカルトの考え
デカルトの考え方は、その後の科学の発展や、「人は自分の頭で考えるべきだ」という「啓蒙思想」に大きな影響を与えました。
彼の合理的な考え方は、科学が発展するための土台となり、他の考え方とぶつかりながらも、哲学を大きく進化させました。
また、心と体を分けるという彼の考えは、心理学や脳科学の発展にも影響を与え続けています。
デカルトの考え方は、私たちの「どうやって物事を考えるか」という基本的な部分に、今でも深く根付いています。
デカルトの哲学は、「本当に確かなことって何だろう?」と私たちに問いかけ、自分の頭で考え、真実を探し出すことの大切さを教えてくれる哲学なのです。
参考文献
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