古代ギリシャには、西洋の考え方の土台を作ったすごい哲学者が二人いました。
それがプラトンとアリストテレスです。
プラトンはソクラテスという有名な人物の弟子で、アリストテレスはそのプラトンの弟子でした。
つまり、先生と生徒の関係だったんです。
でも、二人の哲学、つまり「世界や物事をどう見るか」という考え方は、根本的なところで大きく違っていました。
この違いが、その後の西洋の歴史や学問に、とても大きな影響を与えることになります。
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世界観の違い
プラトンとアリストテレス世界の捉え方の違いからみていきましょう。
プラトン 見えない「完璧な世界」を信じた理想主義者
プラトンの哲学の中心にあるのは、イデア論という考え方です。
彼は、私たちが目で見て、触れることができるこの現実の世界は、いつも形を変えていて、決して完璧ではないと考えました。
具体例を交えて説明します。
例1: 「丸い」という概念
あなたが紙に描く丸、お皿の丸、車のタイヤの丸など、世の中には様々な「丸いもの」があります。
しかし、どんなに完璧に描こうとしても、完全に数学的に完璧な「丸」は存在しません。
拡大すれば、線のゆがみ(※線とは本来幅を持たないものですが、絶対に幅を持ってしまいます)や
不完全さ(※完璧に円の形にすることはできない)が見えてきますよね。
しかし、プラトンは、この世の不完全な丸とは別に、「完璧な丸」のイデアがどこか別の世界に存在すると考えました。
それは、完全に中心から等距離にある点の集合であり、一切のゆがみがない、まさに「完璧な円」そのものです。
そして、私たちが「これは丸い」と認識できるのは、私たちの魂がかつて「完璧な丸のイデア」を見ていた記憶があるからだとプラトンは説明しました。
現実の不完全な丸を見ることで、その記憶が呼び起こされるのです。
例2: 「美しさ」という概念
美しい花、美しい絵画、美しい人など、私たちは様々なものに「美しい」と感じます。
しかし、「美しさ」の基準は人それぞれで、時間と共に流行も変わります。
ある人にとって美しいものが、別の人にはそうでないこともあります。
そして、どんな「美しいもの」も、やがては古くなったり、朽ちたりします。
プラトンは、個々の移ろいゆく美しさの背後には、「絶対的な美そのもの」である「美のイデア」が存在すると考えました。
この「美のイデア」は、普遍的で永遠不変、決して変化しない完璧な美しさです。
私たちが「これは美しい」と感じる時、それはその美しいものが「美のイデア」をわずかに反映しているからであり、
その反映を通して、魂の中に眠る「美のイデア」の記憶を呼び起こしている、とプラトンは考えました。
イデア論が与えた影響
プラトンのイデア論は、その後の西洋哲学、宗教、科学に非常に大きな影響を与えました。
例えば、キリスト教をはじめとする多くの宗教が、プラトン的な「目に見えない、より高次の世界」や「完璧な存在」の概念と共通するものが多いです。
また、科学や数学に関しても、具体的な現象の背後にある普遍的な法則や原理を探求する科学の姿勢、
特に数学における抽象的な概念(点、線、数など)の追求には、イデア論に通じる考え方があります
加えて、芸術・倫理では、完璧な美や善を追求する芸術や倫理(哲学)の考え方には、イデア論の影響が見られます。
このように、プラトンのイデア論は、単なる哲学の概念にとどまらず、私たちが世界をどう捉え、何を信じ、何を追求するのかという根本的な問いに、深く根ざしているのです。
アリストテレス 目の前の「現実」を徹底的に調べた現実主義者
一方、プラトンの弟子だったアリストテレスは、先生とは違うやり方で考えました。
彼は、プラトンが言ったような「別の完璧なイデアの世界」が本当にあるのかどうか、疑問に思いました。
アリストテレスにとって、本当の知識は、私たちが五感で感じられるこの現実世界をじっくりと観察し、分析することによってしか得られないと考えたんです。
彼は、動物や植物、物理の法則、人の心、政治の仕組みなど、本当に驚くほどたくさんの分野を研究しました。
アリストテレスは、個々のモノが「なぜそうなっているのか」「どうやって変化するのか」
といった「本質」を、現実のモノや出来事の中から見つけ出そうとしました。
この本質を「形相」(エイドス)といいます。
彼は具体的な現象を細かく分類し、そこから共通のルールや法則(すなわち形相)を見つけ出すことに力を入れました。
例えば「人間」とは何かを考えるとき、プラトンのように「人間のイデア」を考えるのではなく、
目の前の様々な人間(男性、女性、子供、老人など)を観察します。
そして、「人間は理性的動物である」といったように、現実の人間が持っている共通の性質や特徴を捉えようとしました。
馬には馬の形相(=走る)が、鳥には鳥の形相(飛ぶこと)が、イスにはイスの形相(座るための機能)が、
というように各物質にはそれぞれの形相が必ずあるとアリストテレスは考えました。
プラトンと異なり、彼の哲学は、実際に経験して調べることに基づく、現実的で実践的な特徴がありました。
幸福論
つづいて、幸福論について二人の考え方の違いを見てみます。
プラトン:イデアの追求による幸福
プラトンにとって、真の幸福は、永遠に変わらない「イデアの世界」の真理を知り、それに近づくことにありました。
彼は、私たちが感覚で経験する現実世界は不完全であり、真の幸福はそこには見出せないと考えていました。
人間が幸福になるためには、魂が本来持っている理性を使って、目の前の現実の不完全さから離れ、
「善のイデア」や「美のイデア」といった普遍的な真理を認識することが重要だと説きました。
この真理を知る過程は、魂が生まれる前に見ていたイデアを「思い出す(想起する)」営みだとプラトンは考えたのです。
プラトン:魂の調和と正義
また、プラトンは人間の魂を「理性」「気概」「欲望」の三つの部分に分けました。
- 理性:知恵を愛し、真理を求める部分です。
- 気概:勇気や名誉を求める部分です。
- 欲望:食欲や性欲などの肉体的な快楽を求める部分です。
プラトンは、これらの三つの部分がそれぞれが適切に働き、理性によって統治され、調和している状態が、
個人にとっての「正義」であり、それが幸福につながると考えました。
つまり、感情や欲望に流されず、理性が主導権を握ることで、魂が安定し、幸福を感じられるようになる、というわけです。
プラトンをまとめると、幸福は外部の要因に左右されず、
自分自身の魂のあり方、特に理性が優位に立ち、イデアの真理を認識し、魂が調和している状態で得られると考えました。
アリストテレス:究極目的としての「エウダイモニア」
アリストテレスは、人生におけるすべての行為には目的があり、その究極の目的こそが「幸福(エウダイモニア)」であるとしました。
彼は「幸福」を単なる一時的な快楽や気分と捉えるのではなく、
「人間としての目的に沿った、充実した最高の生き方」と定義しました。
エウダイモニアは、単に「ハッピーな状態」というよりは、「よく生きている状態」や「繁栄している状態」に近いニュアンスを持っています。
アリストテレス:徳(アレテー)に基づいた魂の活動
アリストテレスは、人間にとっての幸福は、人間ならではの機能、
つまり「理性的な魂の活動を、最高の徳(アレテー、卓越性)にしたがって行うこと」によって実現されると考えました。
これは、「世界観の違い」のところでもお話したように人間の「形相」に基づいています。
そして、彼が重視したのは、以下の二種類の「徳」でした。
- 知性的徳:哲学的な知恵や思慮深さなど、理性的な活動に関わる徳です。
- 習性的徳(倫理的徳):勇気、節制、正義など、日々の実践を通じて身につける習慣的な徳です
アリストテレスは、習性的徳は知性的徳を活用し、「中庸(ちょうど良い真ん中)」を見つけ、繰り返すこと(習慣化すること)で養われるとしました。
アリストテレスにとって、幸福とは、これらの徳を身につけ、それを日々の生活の中で積極的に発揮していく「活動」そのものでした。
ただ徳を持っているだけでなく、実際にそれを行動に移すことが重要だったのです。
現実世界での実践と共同体
プラトンがイデアの世界に目を向けたのに対し、アリストテレスは現実世界での実践を重視しました。
彼は、人間は社会的な動物であり、友人との交流やポリス(都市国家)における市民としての役割を果たすことも、幸福には不可欠だと考えました。
共同体の中で徳を発揮し、良い人間関係を築くことが、個人の幸福に大きく寄与すると見ていたのです。
影響力の違い 西洋思想の二つの大きな流れ
プラトンとアリストテレスの哲学の違いは、その後の西洋の考え方に二つの大きな流れを作り出しました。
プラトンの哲学は、キリスト教の神様を考える神学や、理想を追い求める政治の考え方、絶対主義・合理主義などの哲学に影響を与えました。
「この世の物理的なものだけでは測れない、もっと高い次元の真理があるはずだ」という探求や、
理想の社会を追い求める形で、たくさんの思想家たちにひらめきを与え続けています。
一方、アリストテレスの哲学は、中世の学問の基礎となり、私たちが知る近代科学の発展に大きく貢献しました。
彼が考え出した「論理学」は、学問を進める上での基本的な考え方となり、
また、生物学や物理学のような「経験に基づいた科学」は、彼の観察と分類の方法論から大きな影響を受けました。
現実を詳しく調べて、そこから法則を見つけ出すというアリストテレスの姿勢は、今でも科学的な研究のとても重要な柱となっています。
まとめ
プラトンは、現実世界は不完全で変化すると考え、その背後にある永遠不変で完璧な「イデアの世界」が真の実在だと説きました。
彼の哲学は、抽象的で理想主義的です。
他方、アリストテレスは、プラトンのイデア論に懐疑的で、真の知識は現実世界を観察し、分析することによって得られると考えました。
彼は動物学から政治学まで幅広い分野を研究し、経験に基づいた実践的なアプローチを重視しました。
彼の哲学は、経験的で現実主義的です。
この二人の哲学の違いは、西洋思想に「理想を追求する流れ」と「現実を分析する流れ」という二つの大きな源流を作り出しました。
以上がプラトンとアリストテレスの主な考え方の違いになります。
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