『武士道』(新渡戸稲造)を紹介!(①武士の徳目)

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こんにちは。よっとんです。

哲学倫理・歴史・心理、それから本紹介のブログを書いています。

本日は、前5000円札の新渡戸稲造が記した『武士道』(①武士の持つべき徳目)について書いていきたいと思います。

『武士道』内で説かれている武士が持つべき徳目とは何なのか、

現代の日本人にも通ずつ心得がありますので、ぜひご覧ください!

なぜ『武士道』を書いたの?

新渡戸稲造は明治時代に活躍した日本の思想家で、

国際連盟事務局次長を務めた人物です。

彼は東京帝国大学に入学する際の面接で、

私は太平洋の架け橋になりたい!と発したといいます。

つまり、世界(特に欧米)と日本を平和的につなぐ役目をしたい、という思いがあったということでしょう。

実際に、国連で活躍するのですから、5000円札に選ばれるのも納得ですね。

さて、『武士道』はそんな彼の「日本を世界に伝えたい!」という想いが詰まった作品です。

出版に至った経緯を簡単に説明しましょう。

『武士道』は1900年に出版されました。

19世紀後半まで、欧米の先進諸国からの日本の印象は

ただのアジアの東辺の国で、野蛮・幼稚といったものでした。

しかし、1894年日清戦争で「眠れる獅子」といわれた中国に勝利したことから、日本は好奇な目で見られるようになりました。

そんな時に、新渡戸はとある外国人に次のことを聞かれます。

「日本人は宗教教育がないんだって??どうやって道徳を教えるの?」

新渡戸は、宗教教育がなくても、日本人は立派な武士道が備わっており、決して野蛮な民族ではない、という想いから、

まずはアメリカに向けて英語で『BUSHIDO-The Soul of Japan』を出版しました

そしたら、この著作が異例の大ヒット、

あのセオドア・ローズベルトが絶賛し、友人に配るほどのものだった。

その後、ドイツ・フランス・ポーランド・ノルウェー・ハンガリー・ロシア・中国など各国語に翻訳され、世界中で読まれることになったのです。

そんな「武士道」の中身を見ていきましょう。

「武士道」の成立背景

日本に「武士道」がどのように成立したか?

実は、その明確な答えはありません。

そもそも武士は戦うことを職業とする人々です。

武士道は、鎌倉時代~江戸時代までの封建制度を生きた武士たちの中で、

時代ごとの「武士とはこうあるべき!」というもの義務が組み合わされて成立したものです。


その中には、儒教・仏教・神道などの教えも含まれています。

特に、儒教の教えは一番多く取り入れられています。

例えば、(慈悲の心),(不正、卑劣を許さない心),(仁・義を型にしたもの),(=信,誠実であること),克己(己の欲や感情を制すること)などがあげられます。

仏教からは、常に心の平静を保つことが、

神道からは、主君への忠誠祖先に対する尊敬親に対する孝心(※儒教の「孝」と同じ)が、

それぞれ武士道の精神として組み込まれています。


さらにこれらの武士道はあくまでも不言不文の掟でありました。

つまり、書面で表されることもなかったのです。

武士が持つべき徳とは?

武士道は武士の義務・掟のことです。

新渡戸は「武士道」を仏語の「ノブレス・オブリージュ(高貴な身分に伴う義務)」のことだと言っています。

ただ、これではあまりにも抽象的なもので終わってしまいます。

新渡戸の著作『武士道』の凄いところは、「武士道」を細かく徳目に分けて分析しているところです。

では、本日のメインテーマである、武士の徳目を一つずつご紹介しましょう。

忠義

「忠義」は主君に対する服従や忠誠の義務のことを言います。

新渡戸は、忠義で日本の武士に勝てる国はいないと言っています。

『菅原伝授手習鑑』という菅原道真にまつわるエピソードでは、

「菅原道真の子どもの首を切れ」と命じられた松王丸(元道真の家臣)が、自分の息子の首を身代わりにするシーンが描かれています。

松王丸は最後にこう言います。

「喜べ、われらの愛しき息子は立派にお役に立ったぞ!」

武士道では、身内への愛情や孝行よりも忠義が何より重んじられます。

そして、この徳目は一族や家族も一体となって実施するものでした。

先ほどの松王丸の息子もすすんで殺される方を選んだのです。

忠義は、個人は国家のため、あるいは主君のために生き、そして死なねばならないことといえるかもしれません。

ただ、この忠義は「奴隷化」を意味しません

国家や主君が誤った行為をしたならば、自分の身をもって(時には血を出して)過ちを正すこともします。

その際に大事な徳目が「義」です。

義と勇

武士の掟の中で最も厳格な徳目、それが「義」です。

「義」とは、卑劣な行為、不正なふるまいを許さない心です。

シンプルに言えば、正しいことをすること、ですので「正義感」と近いと思います。

義は「忠義」を支えるものです。

「義」の行為をするには「勇」が必要になります。

「勇」は「勇気」のことです。

「義を見てせざるは勇なきなり」と孔子が『論語』で説いているように、

「勇」がないと「義」が行うことは難しいのです。

例えば、頭の中で「お年寄りに席を譲る行為は正しい」とわかっていても、

勇気がないと、その行為は行うことができませんね。


逆に、「勇」は「義」のために行われるものでなければなりません

一命を投げ出すことは「勇」のように見えますが、

死ぬのに値しないもののために死ぬことはは「犬死いぬじに」とされ、

武士の中でも賞賛されるものではありませんでした。

「義」と「勇」はセットなのです。

「仁」とは慈悲の心のことをいいます。

為政者の心得として「仁」が重んじられました。

鎌倉~江戸期の将軍は基本的に世襲制でした。

日本は世襲制のトップでは絶対的な権力があったが、専制政治ではなかったと新渡戸はいいます。

それは、「仁」の精神があったからです。

日本の武士の中では、「勇気あるものはもっとも優しい者であり、愛ある者は勇敢である」ということが普遍的な真理とされていました。

もちろんすべての人がではないですが、そうした主君に仕える側も高い誇りをもって従順していました。

不思議な状態ではありますが、日本の政治は世襲制で絶対的な主君がいるものの、民主的でもあったともいえるのです。

「誠」は儒学では「信」とも表され、誠実さのことです。

武士に二言は無し」という言葉も有名ですね。

これは、嘘をつかないということではないといいます。

誠実さを守るためなら、日本人は嘘をつきますね。

「元気ですか?」「(元気ではなくても相手に気をつかって)元気です」と。

誠実であることと嘘をつかないことは別なのです。

むしろ、一度決めたことを実行することこそが「誠」であるといえます。

そして、この「誠」は次の「礼」を支える徳目となるのです。

「礼」は「仁」・「義」を外面的に現出させたもののことを言います。

礼儀・マナーが分かりやすいと思います。

慈悲の心や正義感が伴った行為が「礼」と言えます。

また、「礼」には「誠」が必要です。

心がこもっていない「礼」は本当の礼儀とは言えないのです。

日本の「礼」はその心配りの丁寧さゆえに、優美なものとなりえます。

「茶法」もそうです。

一つ一つの作法が繊細で、もはや芸術といえるものとなっています。

ただ、行き過ぎた礼は外人にとっては違和感を持たれるそうで・・・

そこで、礼の実践例として「外国人が不思議におもった日本人」を二つあげておきます。

日傘を下ろす日本人

とある暑い日のお昼。

外国人の婦人の前に日傘を差した知人の男性がやってきました。

彼は婦人に気付くと日傘を下ろして会話をし続けます。

とても暑いのになぜ日傘を下ろして話すのか・・・これが彼女には不思議でたまりませんでした。

「つまらないもの」を渡してくる日本人

アメリカ人はプレゼントを渡すとき、

「素晴らしいプレゼントを素晴らしいあなたに」と言って渡す。

しかし、日本人からはこう言われる。

「つまらないものですが、どうぞお受け取りください」

外国人たちは、つまらないものなら要らないと思ってしまうのです。

二つの不思議な行為の意味とは?

二つは日本人には理解できる行為だったのではないでしょうか?

繰り返しになりますが、日本人の礼儀作法には「仁」「義」「誠」などの精神性が伴います。

これは正直とは異なります。

本音では「暑い」「素晴らしいプレゼント」と思っていても、

それを表に出さないのが武士道なのです。

そして、その感情や欲を抑制し、相手を立てる優しさを持つのが日本人なのです。

新渡戸は日本人という民族は世界の中でも一番優しい民族だと言っています。

おもてなしの国、日本は武士道の精神性の表れなのかもしれません。

名誉

「名誉」は武士が一番重んじた徳目で、命以上の価値があるものでした。

簡単にいえば、「名をあげること」です。

サムライの若者が得たいものは富や知識ではなく、この名誉でした。

母はサムライの子が家を出たら、名をあげるまでは家に入れませんでした。

そして、この名誉は忠義と密接の関係があり、主君のために命を張れるのはこの「名誉」に由来するものでした。

逆に名誉を汚す行為は「恥」です。

武士は恥となる行為を避けることを心がけます。

すべては名誉のため。それが武士の生き方でした。

克己

最後に、「克己」をご紹介します。

「克己」とは己に打ち勝つことを言います。

具体的にいえば、感情や欲を抑制することです。

武士は人前で大笑いしたり、泣いたりすることをしません。

食べ物が無くても、貧困になっても、それに嘆き悲しんではいけないのです。

それは与えられた試練だと思い、「忍耐」することが重んじられました。

「克己」の例として、外国人が不思議に思った事例を一つあげときます。

悲しいのに笑う日本人

とある男性の葬式の日、

その男性の知人の外国人は、奥さんが心配だったので見に行きました。

すると、彼女は悲しいのにもかかわらず私に笑って見せたのです・・・これが彼には不思議でたまりませんでした。

日本人はなぜ感情を表に出さないのか?

先の事例で外国人の方は、

「日本人は感情が無いのでは?」とか「狂人では?」と思われたそうです。

ただ、そういうわけではありません。

思いの感情と異なる行為を外面で出すのは、心の平静を保つためです。

悲しいときに悲しみを外に出すと、心が乱れてしまう、

だから、笑いを出すことでバランスをとっているのです。

克己の理想は心を平常に保つことなのです。

まとめ

武士の身に付けるべき徳目はいかがだったでしょうか?

全てではないにしろ、我慢強いところ、誠実さ、おもてなしの心など

現代の日本人にも通じる心があります。

②ではその武士道をさらに深めていきます。

特に「切腹」について取り上げていきます!

ぜひご覧ください!

ここまでご覧いただき誠にありがとうございました。

参考文献もぜひお読みください!

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