遅刻は悪か?(哲学で分析!)

哲学・倫理学

こんにちは。よっとんです。

主に、心理・哲学倫理・歴史、本紹介のブログを書いています!

今日のテーマは「「遅刻は悪か?」を哲学的に分析してみよう」です!!

皆さんは、こういう経験ありませんか?

「朝起きた、けどまだ眠い。けどここで寝たら遅刻してしまう。遅刻はいけないことだから、起きて準備しなきゃ」

僕はあります!(笑)

「遅刻は悪」と考えてました。

しかし、次の人を学んだ時に、

「いや、悪ではないかも・・・」と考えるようになったのです。

その人物こそ、本居宣長です!

「も・・・もとおりのりなが??誰??」

安心してください。そんな方にもわかるように説明します。

「もっと詳しく知りたい!」という方は詳しく書いている記事を一番下に載せましたので

ぜひ参考にしてください。

本日は、本居宣長が批判した朱子学と比較して

「遅刻が悪なのか」・・・徹底分析していきましょう!!

「自然な感情・欲に従う方が大事!」by本居宣長

そもそも皆さんは、本居宣長をご存知でしょうか。

一応簡単に説明します。

本居宣長は江戸時代の思想家です。分類は国学者です。

国学っていうのは「日本国の学問」ということです。

つまり、「日本の精神を明らかにしようという学問」なわけです。

さて、そんな彼は日本の精神を研究した結果、

古来から日本人にはある精神が引き継がれていることを発見しました。

それが、「真心」(まごころ)です。

真心とは、「自然に発する情」のことです。

例えば、何かとんでもなく綺麗な景色を見たときを思い出しましょう。

その時、皆さんは思うはずです。

「あぁ、きれい!!」

それです。それが真心です。

真心とは、嘘偽りのない感情、ついつい自然に発してしまう欲や感情のことです。

※ 嘘で「あぁ、綺麗!」と言っているって人は、Goodbye!!

特に、本居宣長は「もののあはれ」こそ人間の本当の姿が現れるといいます。

聞いたことある・・・と言う方もいるかもしれません。

簡単に説明します。

「もののあはれ」とは、「何かものに触れたときに自然にでてくる情」のことをいいます。

具体的にいえば、ものに触れたときにでる「あぁ・・・」の瞬間。

美しいな花を見て「あぁ・・・美しい」

感動する映画を見て「あぁ・・・泣ける」

イケメンを見て「あぁ・・・イケメン」

などなど・・・その「あぁ」の瞬間、これこそが「もののあはれ」です。

ではなぜ、これを本居宣長は重要視したのか?

それは、

「もののあはれの瞬間」=「一番人間らしさがあふれる瞬間」

だからです。

作為的・意図的に(すなわち、「私は感情的な人なのよ!」とアピールしたくての)「あぁ・・・」という人は別ですが・・・(笑)

基本的に「あぁ」と発している瞬間は、私たちは何も意図せず、ただ心の底から感動しているのではないでしょうか?

ついつい出てしまう・・・

そこには何か、人間の善悪、つまり人為的な価値観が介入する余地はありません

「これは一般的に美しいものだから、「あぁ」と言おう。」とか、考えないということです。

思考や反省が介入しない本能から不意にでてしまう感情にこそ、

人間らしさがあふれている、と本居宣長は考えました。

逆にいえば、本居宣長は、

「これは善、これは悪」と決めつける、人為的な考えを批判します。

彼の生きた江戸時代は、そういった人為的で理屈っぽい考えであふれていました

例えば、

「武士は武士らしく、感情を表に出さないように振舞いましょう」とか

「下の身分の者は上の身分の者を敬いましょう」とか

「欲望を抑制し、我慢できることが立派な人です」とかです。

これらの考えは、中国由来の「朱子学」に由来しています。

江戸期は朱子学が国の学問として認められ、「勉強するなら、朱子学」と決まっていました。

では、その朱子学の教えはどういうものか、今日はすごく簡単に説明をしましょう。

「感情を表に出すな!欲を抑えろ!」by朱子学

それでは、朱子学について簡単に説明します。

「朱子学??おいおい、「遅刻が悪なのか」と関係ないじゃないか」・・・

と思われるかもしれませんが、実は関係大ありです。

なぜなら、「遅刻=悪」という考えが日本人に根付いているのは、

もしかしたら、朱子学の考えが日本人に根付いてしまっているからなのですから!!

だから、少しだけお付き合いください。

江戸時代の始まり、徳川家康は中国由来の朱子学(儒学系)を国家統治のシステムとして採用しました。

朱子学は元々孔子の儒教が始まりです。

簡単に言えば、「上下関係を重んじる=善」という学問です。

日本は「敬語を使う・お辞儀をする」という文化がありますよね。

それは、儒教・朱子学の考えです。

他には、日本人は「姉」と「妹」を言葉をわざわざ分けて使いますよね。

「私の姉です」「私の妹です」と。

「どこもそうだろ!!」と思われるかもしれませんが、そんなこともありません。

英語では、姉を紹介するときも、妹を紹介するときも「sister」ですよね。

英語圏では「どっちが上か?」という順序を気にしないからだと考えられます。

逆に、日本に入ってきている儒教・朱子学は上下関係を重んじるので、上なのか、下なのかを気にします。

年功序列制度、飲み会での上座下座など、

現代なお残る「上を敬う」というありかたは、この朱子学が江戸期から根付いていたことと無関係ではないでしょう。

それから、もう一つ、朱子学には「敬」という考えがあります。

そして、この「敬」が今回の「遅刻は悪か」を考える上でとても重要です。

「敬」は「うやまい」ではなく、「つつしみ」と訳されます。

意味は、感情・欲をみせないでいること、常に緊張した状態でいることです。

特に、上の身分の者に出会ったときの心得として重んじられました。

例えば、昔の日本では、「歯を見せるほどの笑顔」は基本的にNGでした。

「感情を表に出さないようにする=欲を抑制できる=立派な人間」と考えられ、

「敬」が重んじられたのです。

しかも、江戸期にはこの朱子学が国家の学問(官学)とされたので、

日本に流通している書物のほとんどがこの朱子学関係のものでした。

本能・欲望をあらわにした官能小説などはもちろん発禁処分!

朱子学の徹底化、つまり「上下関係」・「敬」を重んじることを追求し、

江戸幕府は不平等(身分制度)の安定化をはかったのです。

こうして、朱子学でいう「善い・立派な人間」が生産されていきました。

まとめ:「遅刻は悪じゃない!」

さて、ここからは本居宣長の思想と批判を踏まえた上で、結論を記していきましょう。

本居宣長は、朱子学の人為的な考えを「漢意」(からごころ)と批判しています。

「から」というのは中国のことです。

だから、朱子学は、中国由来の理屈っぽい、意図的なものだと批判しているわけです。

朱子学は感情・欲を抑える「敬」を重んじていました。

だから自分の欲に流されてしまう人間は「悪」ということになります。

例えば、「朝起きたけど、まだ眠たい」という欲があったとしましょう。

朱子学に則した場合の善い行動はというと・・・

「「眠たい」という欲を抑制して、活動する」

となります。

「眠たい」という欲を我慢できた人が立派な人間なのです。かっこいいのです。

ただ、本居宣長は、こうした人為的な考えに則る生き方を批判します。

簡単に言えば、「善とか悪とかって、人間が勝手につくった価値観でしょ?」

「人が手を加えたルールに従うこれって果たして人間の本来の生き方かな?」ということです。

それよりも

「「眠たい」という自然とでた欲に従う方が、人間らしいのではないか?」

皆さんなら、いかがでしょうか?

他の例を出しましょう。

現代では「時間を守る」ことがとても重んじられています。

一般的には、「時間を守れる人=立派な人間」です。

ただ、そもそも「時間」というもの自体、人が作りだしたものです。

「時間通りに出勤することは善いことだ」という考え方は、産業革命期に、効率よい働き方を可能にするために生まれた価値観です。

「時間通りに行動させて、労働者を機械的に働かせた方が生産性があがる」と気づいた資本家からの視点がもとです。

だから、「時間を守れる人=立派な人間」という価値自体、人為的なものなのです。

この考え方に踏まえるなら、

「遅刻=悪」という考え自体も、人為的なものということになります。

もちろん、私は「時間を守らなくてもいい」と言いたいわけではないです

「時間を守ること=絶対的に善いこと」とは言い切れないということをお伝えしたかったのです。

本居宣長のいうように、

「自然に出てくる欲に従う方が、本来の人間だよね」という考え方もあります

  • 「「眠たい」なら、寝る」
  • 「授業が退屈で「帰りたい」なら、帰る」
  • 「何もしたくないなら、ぼぉーっとする」

こういった「やりたいことをする」という生き方の方が人間らしいと思いませんでしょうか?

「毎日、8時に登校し、8時40分から1時間目・・・そして15時にHRをする。」

そういった時間通りに生活をしている人と、

「8時に登校したけど、おなかすいたな。食べたいから食べよう。」と

やりたいことをする人。

確かに「立派な」人間は前者かもしれませんが、

人間らしいのはどちらかと言われたら迷うのではないでしょうか??

いかがでしょうか。

私は、

「「遅刻=悪」だから、絶対に登校・出勤するぞ」と一面しか見れていない人よりも、

こうした現状を疑い、なおも

「遅刻はしない方がいい。なぜなら、組織で働く場合、遅刻しない方が効率があがるからだ」と

判断した上で、遅刻をしないと結論している人には雲泥の差があると思います。

「遅刻=悪」とは絶対必ずしもいいきれません。

それを踏まえて、

「遅刻するのか・しないのか」

具体的に言えば、「遅刻とか無関係の働き方をするのか」どうか、考え直してみてもいいのではないでしょうか?

以上、本居宣長の思想を踏まえた上で、「遅刻=悪なのか」に対する私なりの結論でした!!

本居宣長の思想は自然に出る感情=「真心」を重視するものでした。

これを感情だけではなく、「欲」に当てはめて考えてみようというのが今回の試みでもありました。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

今回の本居宣長について、もっと知りたい!朱子学についてもっと知りたい!という方がいましたら、

以下に添付しておきますのでぜひご覧くださいませ!

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