こんにちは。よっとんです。
心理・歴史・哲学・倫理など分かりやすく解説をしています!
本日は日本思想:江戸時代の思想より、伊藤仁斎と荻生徂徠(おぎゅうそらい)を取り上げます!
二人を比較するとより思想がわかりやすくなると思います。
今回は、生涯を省き、思想だけに絞りました!
ぜひ最後までご覧ください!!
今回の参考文献は以下の通り
『江戸の学びと思想家たち 』(著:辻本雅史)岩波新書
『江戸の思想史―人物・方法・連環 』(著:田尻祐一郎)中公新書
1 伊藤仁斎の思想とは?
まずは、伊藤仁斎からご紹介します!
彼の思想の核心を簡単に言えば
「世の中「仁」があればうまくいく!」というものです!
ざっくり過ぎましたかね・・・(笑)
ただ、この「仁」というものを重んじたことで、
名前に「仁」を入れてしまうほどです(仁斎)!!
では、「仁」とは何か、ということから簡潔に説明しましょう。
① 仁とは?
元々、「仁」を重要視した人物がいました。
それが儒教の祖、孔子です。
孔子は仁とはこういうものと具体的に明示しているわけではないのですが
「仁」とは、簡単に言えば、
「思いやり」のことです。
「人と人が関わる時に発する心情」です。
例えば、
・子が親を思う「孝」
・兄弟姉妹間で、年少者が年長者を思いやる「悌」
なども「仁」です。
詳しくは孔子について書いたブログを次回以降に書きたいと思います。
今回は、仁斎がその「仁」というものを特に重んじ、自己の思想に取り入れたということが重要です。
実は、仁斎は孔子の大ファンです。
孔子について書かれている書物『論語』を
「最上至極宇宙第一の書」とめちゃくちゃ褒めています!!
「最上の書」だけでもNo.1のことなのに・・・(笑)
では続いては、「なぜこれほど孔子の思想を重んじたのか?」という点について記しましょう!
② 人倫日用の学?
仁斎の思想は『論語』や『孟子』といった古い文書から成り立っています。
後世の人が加えた解釈本ではなく、
『論語』『孟子』のような古書に直接あたろうという、伊藤仁斎から始まる学派を
「古義学」といいます。
実は、当時の人々は『論語』や『孟子』を読むのではなく、
朱子による解釈本(『大学章句』『中庸章句』『論語集註』『孟子集註』)に漢文で触れていました。
ただ、これらの本には朱子の考えが入ってしまっています。
朱子学は天地自然に備わる「理」(理法・秩序)にしたがって生きることを善しとします。
とても抽象的・形式的な教えですね。
「理」って何だ、世界の理法ってなんだ・・・?
仁斎はそういった抽象的・形式的な議論に陥る朱子学を批判しています!
なぜなら、彼が求めたのは「人倫日用の学」だからです!
即ち、日常生活に使える学問の方が大事じゃないか!ということですね。
世界の理を知ったところで、今の私には役立たんぞ、
学問とは実践に通じるものでなくてはならない。
仁斎にはそのような思いがありました。
だから、朱子学の主張とは本来相容れないものを求めていたのです。
そこで、『論語』を研究したら、
『論語』にこそ「人倫日用の学」があふれていました。
『論語』を読んだことがある人はわかるかもしれませんが、
『論語』は孔子と弟子たちの日常生活(生涯)がメインに描かれています。
その中で、主に孔子が「○○のときは、△△をすることが大事だ」などと説いています。
儒学は元々「人倫日用の学」、実践的な教えなのです。
特に「仁」は身近な人との間でも使えますよね?
人々が「思いやり」や「愛」を発揮することで、平和な世の中をつくることができます。
というか、全ての人が「仁」の心をもっていれば、
法律や刑罰制度もいらないくらいです。
仁斎は、人間の世界は「仁」によって成り立つと主張し、
個人個人が修養して、「仁」を獲得し、身近な人に「仁愛」を発揮していくこと、
これを理想としました!
③ 「誠」とは?
仁斎は、「仁」を成り立たせるうえで、「誠」の精神も重要視しています。
「誠」とは、偽りのない心です。
「真実無偽の心」、これが「誠」です。
何故、「誠」が必要なのか?
次の場面を想定しましょう。
「少年Aは、祖母が元気にしているか気になるので、毎年正月に必ず祖母の家に会いに行く」
この行為は思いやりが発揮された「仁愛」の行為といえるかもしれません。
しかし、もし少年Aは以下のように思っていたらどうでしょう?
少年A 「誰にも言ったことはないけど毎年、祖母に会いに行く本当の理由は、
お年玉目当てなんだよなぁ。」
これでは先ほどの行為は「仁愛」とは言えない、仁斎ならそう考えるでしょう。
なぜなら、少年Aには「偽りの心」があるからです。
「仁愛」は「誠」(真実無偽の心)があって初めて成り立つものです。
では、この「誠」の徳を得るためには何をしたらいいのか?
それは仁斎曰く、「忠信」と「忠恕」の実践が必要だということです。
- 「忠信」:忠は、自分を偽らないこと、信は他人を欺かないこと
- 「忠恕」:他者の心情を自分のこととして理解すること。
これらの実践を通じて、ぜひ「誠」の徳を手に入れ、仁を発揮していくことで、
人間関係は良好になる、仁斎はそう考えました!!
2 荻生徂徠の思想とは?
続いて荻生徂徠の思想を見ていたいのですが、
まずは彼の学問へのアプローチ方法をご紹介します。
① 古文辞学とは?
荻生徂徠は若い頃、伊藤仁斎の書物に出会い、強い感銘を受けました。
孔孟の思想に直接触れなければ、儒学の真実を得ることはできない・・・
この発想は朱子学が全盛の時代にはかなり革新的なものだったに違いありません。
ある時、知人を介して徂徠は仁斎に手紙を送りました。
内容は「この広い世界にあって俊英と言えるのは仁斎先生ただ一人です!」というものです。
さて、返事は・・・・
来ない!!(笑)
この時仁斎は病気だったという話もあります。
ただ、徂徠にしてみれば恋文を無視されたようなものです。
そこから仁斎を恨むようになりました。
※「似非(えせ)学者だ!」と批判しています。
その恨みは徂徠を新たな学問へ向かわせました。
それが、「古文辞学」です。
徂徠は、『論語』『孟子』よりも前の時代の
六経(『詩経』・『書経』・『易経』・『春秋』・『礼記』の五経と、今は存在しない『楽経』)
を研究対象にしました。
そして、これらの古い原典を、古代の言葉、この場合古代中国語で理解しよう
というのが、徂徠からなる古文辞学です。
この姿勢は今では当たり前ですが、当時はそうではありませんでした。
即ち、『論語』『孟子』も、現代語訳されたものを読むのが普通でした。
だから、
外国の古い書物を理解するには、その当時の外国語を理解した上で読まなくてはならないという
文献学的な方法論はとても画期的なものでした。
この方法論は後の本居宣長の思想に影響を与えています!
② 先王の道とは?
古文辞学を通して、彼が見出した理想の生き方、
それは、「先王の道」というものです。
「先王」とは中国古代の理想的な君主(尭・舜・禹・湯王・文王・武王・周公旦)のことです。
だから、「先王の道」とは、
「中国古代の理想的な君主が人為的に施した、大いなる道」ということになります。
これは朱子学への批判に繋がります。
朱子学で説かれた道は、
「天地自然にそなわる理に沿った生き方をすること」でした。
即ち、朱子学での道は「元々自然にあるもの」ということになります。
一方、徂徠の説いた、先王の道は「人為的に作り出されたもの」です。
先王が作り上げたものにしたがって生きることが先王の道、ということになります。
そして、朱子学の説くような「理」にしたがった生き方ではなく、
具体的な先王の道に沿って生きることで、「天下を泰平にする」ことができると考えていました。
では、先王がつくりあげたものとは、具体的に何を指すのか?
それは「礼楽刑政」、
即ち、「儀礼・音楽・刑罰・政治」です。
刑罰・政治を整備するという主張はわかるが、ここに儀礼と音楽が入っているところが
面白いところです。
徂徠は、先王が「刑罰・政治」だけでは民が安泰にならないと考えていることに気づきました。
先王は、「儀礼・音楽(当時は詩歌)」をつくって民を感化すること、
つまり時には娯楽が必要であることを理解していました。
そうすることで本当の意味で天下泰平の世(安天下の道)がつくれる、
昔の理想的な君主はそこまでバランスをとって民を統治していたといいます。
したがって徂徠は、
先王の立てた礼楽刑政のすべてを整えることで、世を平らかにすることができる、
と考えました。
③ 経世済民
徂徠が先王の道を重視したことは理解できたと思います。
徂徠編の最後に、彼が何故この先王の道を重視したのか、をお伝えします。
彼の思想に「経世済民」というものがあります。
どこかでみたことあるな・・・と思われ方。
そうです、「経済」の本来の略語前の言葉です。
意味は、「世を治め、民を救う」です。
ポイントは、「世を治め」が先に来ていることです!!
徂徠は、個人の修養も大事だが、
それよりも世が安心したものになっていなくてはならない、
そう考えました。
例えば、毎日のように爆撃がある国で
「思いやりを大切にしましょう!」
といわれても難しいですよね。
それほど極端な例でなくても、
例えば、
- 政治がうまくいっておらず、飢饉の状態が続く社会、
- 刑罰制度が整っていないので、犯罪が横行している社会、
このような社会で個人の修養を磨くことは困難です。
徂徠は、個人の修養云々言う前に、
まずは、世を治めなくてはならない!と考えました。
かなり現実的・合理的な思考の持ち主だったと思われます。
だからこそ、
「礼楽刑政」を整備していく必要があるのです。
ここで、皆さんの中には、
「それは孔子の説いていることと異なるのでは?」
と思われた人もいるかもしれません。
しかし、徂徠は、
「儒者たちは、孔子が学んだことを学ぼうとしない」と指摘した上で
孔子の説いた『論語』は、孔子が『六経』から学び得たものの成果であり、
「先王の道」の解説書である、と主張しています。
だから、本来はこの「経世済民」のありかたこそ孔子の主張だということになります。
こう考えれば、(孔子の真意がどちらかは別として)確かに筋は通っています(笑)
以上、徂徠の思想でした!
3 仁斎と徂徠の比較!
仁斎と徂徠の思想はどのように異なるのか、簡単にまとめていきましょう。
① 古義学と古文辞学の違い
古義学の対象は『論語』『孟子』で、古文辞学の対象はそれよりも前の「六経」でした。
古文辞学はその当時の言葉を理解しなくては、古い原典を理解したことにはならないとして、
古文辞(古い言葉)を理解することからアプローチしていました。
② 個人の道徳vs社会秩序
仁斎は「仁愛」を重んじていました。
これは個人の道徳です。
個人の道徳を養うことで、身近な人間関係が良好になり、その影響を拡大していけば、
最終的には平和な世がつくれる、これが仁斎の考えです。
他方、徂徠は逆でした。
個人の修養よりも、社会を整えることを優先するのです。
社会が乱れないように、先王の立てた「礼楽刑政」を整え、まずは、安心した社会をつくる、
個人の修養はその後である、これが、徂徠の主張になります。
途中、徂徠のところで、仁斎とのエピソードをいれましたが、
それが影響したのか?、本当に逆のことを言っています。
ただ、共通していることもありまして、
それはどちらも、朱子学を批判していることです。
朱子学の形式的な抽象的なこと、
あとは、朱子学はそもそも儒教の後世の解釈にすぎないこと、
それらをどちらも批判しています。
以上、伊藤仁斎と荻生徂徠の思想の違いでした!
二人はセットでやると理解しやすいと思います!
長くなりましたが、ここまでご覧いただき誠にありがとうございます。
他にも様々な記事を書いていますので、
よかったらぜひ読んでみてください!
【参考文献】
- 『江戸の学びと思想家たち』(著:辻本雅史)岩波新書
- 『江戸の思想史 人物 方法 連環』(著:田尻祐一郎)中公新書
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