こんにちは。よっとんです。
哲学倫理・心理・歴史,それから本紹介のブログを書いています。
本日は、「『武士道』(新渡戸稲造)を紹介!②切腹とは?それから武士道の今の日本人に影響しているのか?」というテーマで書いていきます。
今回の記事を読めば以下のことがわかります!
- 武士はなぜ切腹をしたのか?
- 武士道は現代の日本人の中に残っているのか?
ぜひ最後までご覧ください。
※ 前回の武士道のブログは以下になります。
何故、武士は切腹をしたのか?
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「切腹」は自殺方法の一つである。
武士の世では一般的な自殺の方法として制度化までされたものです。
色々な自殺の方法があるにも関わらず、なぜ武士は「切腹」で死ぬ事が多かったのか。
その疑問を紐解いていきます。
切腹の作法
切腹がどのように行われたのか。
これについては『武士道』の中でも挙げられている、
ミットフォード(英国の外交官)によって書かれた『旧日本の物語』の引用文がとても分かりやいです。
ただ、長めの引用文ですので、前半部の切腹に至るまでの作法をまとめておきます。
- 切腹する場所は正式に決められた場所(例えば寺院)である。
- 切腹する人は礼装をする(基本は白の麻の裃)。
- 切腹人には介錯人(基本は切腹人の一族か友人)、数名の役人(取締り・片付け役)が付く
- 切腹を見届ける検視役が複数名いる。
- 切腹は「脇差(短刀)」で行う。
- 切腹に至るまで、検視役への礼・告白などの作法がある。
- 切腹は上半身を裸にして行う。
切腹シーンはよりリアルな引用文をとりあげましょう。
※次の引用文は切腹シーンの内容になりますので、読む際はご注意ください。
…滝善三郎は次のような口上を述べた。その声は痛ましい告白をする人の感情とためらいが表れていたが、その顔や物腰には微塵もそのような素振りを見せなかった。
「拙者はただ一人、無分別にもあやまって、神戸で外国人への発砲を命じ、外国人が逃げようとするところを、再び命じた。拙者はいま、その罪を負いて切腹いたす。ご列席の方々には、検視の御役目御苦労に存じ候」(中略)
次の瞬間、善三郎は短刀で左の腹下に深く突き刺し、ゆっくりと右へ引いた。さらに今度は刃先の向きをかえてやや上に切り上げた。このすさまじい苦痛をともなう動作の間、彼は表情ひとつ動かさなかった。そして短刀を抜き、身体を少しばかり前方に傾け首を差し出したとき、初めて苦痛の表情が彼の顔をよぎった。が、声はまったく立てなかった。そのとき、咎人のかたわらに身を屈め、事の次第を終始見守っていた介錯人が立ち上がり、一瞬、白刃が空を舞ったかと思うと、重たい鈍い響きとともに、どさっと倒れる音がして、首が胴体から切り落とされた。
堂内、水を打ったような静寂。目前のもはや動かない肉塊から血潮の吹き出る忌まわしい音だけが、静寂を破っていた。一瞬前までは勇者にして礼儀正しい武士の無残に変わり果てた姿だった。それは身の毛もよだつような光景だった。
いかがだったでしょうか?
とてもリアルな描写でしたね。
次に、切腹の意義を見ていきましょう。
切腹の意義
切腹は、先ほどの引用文からもわかる通り、とても痛々しいものです
なかには、「腹を切る?なんて馬鹿げたことか?」と思う人もいると思います。
特にキリスト教では自殺は禁止されています。
外国人にとって切腹は理解しがたい野蛮な行為と思われていました。
しかし、切腹は決して野蛮な行為ではありません。
切腹は武士の中で制度化された一種の責任の取り方なのです。
「武士が自らの罪を償い、過ちを侘び、不名誉を免れ、朋友を救い、己の誠を証明するための方法」でした。
例えば、腹を切るという行為は、すなわち自分の腹を見せることになります。
これは自分の潔白、誠実さをあらわす行為とも結びつくのです。
※お腹には魂が宿るから、それを見せるという意味もありました。
また、痛みに打ち勝つことは「克己」をあらわします。
前回の記事でも取り上げましたが、武士は人前で感情を出してはいけません。
だから、痛くても痛がらず、目をカッと開いて腹を切るのです。
そして、何より命よりも立派な死に様は名誉なことでした。
武士の世界では敵方の首を取る行為より、討ち死にする方が名誉とされることもありました。
そもそも武士は戦闘集団です。戦うための人達です。常に死と隣り合わせ・・・
その武士が死を恐れることは恥ということになります。
それから彼らは死に様もこだわります。
切腹でも作法にこだわること、それから名誉ある死に方が求められました。
例えば、死後に後ろに倒れることは恥とされました。
だから、膝に力を入れ、必ず前かがみで切腹するのです。
死んだ後のことまで考える・・・これが武士なのですね。
さて、今見てもらった通り、切腹は誰にでもできるわけではありません。
常に鍛錬をし忍耐強い者、また勇気をもつ者、それから冷静な心をもつ者、
すなわち、己の道を極めた武士にこそができるものでした。
そして、名をあげることを求め続けてきた武士の最期の名誉ある行為、
これが切腹なのです。
武士道は今の日本人にも残っているのか?
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最期に、武士道は現代の日本の人々にも残っているのか?について考察していきましょう。
武士道は武士だけのもの?
武士道は武士の精神性を表したものでした。
ただ、他の階級の人々には広まらなかったのかというと、
それは否です。
特に、江戸時代の武士は他の農・工・商の身分の者より位は高かったのですが、
民衆に道徳的な教えを示し、自らもそれを実践する模範者となることで、民衆を導きました。
これは山鹿素行の所で出てきた「士道」のあり方です。
詳しくは以下をご覧ください。
その後、気高き武士は徐々に大衆文化の娯楽として描かれるようにもなっていきます。
芝居、寄席、講談、浄瑠璃、小説などで武士道が広まっていきました。
武士は、「花は桜木、人は武士」と俗謡として歌われたように、大衆の憧れとなっていったのです。
武士道と明治時代
明治時代になると、武士階級はいなくなります。
ただ、明治維新を担った者たちは元武士階級でした。
特に「士道」を説いた山鹿素行の影響を受けた吉田松陰の子弟たちが活躍しましたので、
明治の大変革の成功の裏には「武士道の精神」が根底にあったといえるでしょう。
東洋の諸制度や民族に詳しいタウンゼントは、明治以降の日本を以下のように表現しています。
われわれは毎日のように、ヨーロッパがいかに日本に影響をおよぼしたかを聞かされるが、日本の変化はまったく自発的なものだったことを忘れている。ヨーロッパ人が日本に教えたのではなく、日本人みずからがヨーロッパの政治・軍事の制度を学んだのである。
日本には劣等国として見下されることに耐えられない名誉心も、
忍耐力や不屈の精神もそなわっていたのです。
「日清戦争」の結果も、武士道精神の賜物といっても過言ではないと思います。
つまり、外面上武士はいなくなりましたが、
内面的な武士道は明治以降も日本を突き動かす原動力となりました。
武士道と現代
最期に武士道が現代もなお私たちに影響を与えているのか?についてみていきましょう。
明治以降の西洋との交流が増えていく中で、日本は技術や文化とともに思想も西洋化していきました。
簡単に言えば、西洋の合理主義の考え方が浸透によって、何をするにも「損か得か」で考える打算的な人が増えました。
これは武士道が求めていたものとは明らかに異なります。
武士は損得勘定では動きません。
武士は時には不合理な「義」のために活動する生き物でした。
その「義」は目に見えるものではないし、特定の規準もありませんが、
武士の中での絶対的な価値観として存在し、その「義」に背かないように生きることが名誉でありました。
そして、この「武士道」の精神が、明治以降の利を求めすぎてしまう欲望の予防線にもなってきました。
「自分さえ得すればいいんだ!」という考えに傾かないように、武士道が日本人の精神の中で活きてきました。
ただ、明治からだいぶ時間が経った現代ではどうかというと、
武士道の精神がだいぶ薄れてきたように思います。
それは一つには、忍耐することになれていない現代人は、その武士道の精神は息苦しく感じるからかもしれません。
もう一つには、武士道のような曖昧なものよりも、実証主義的な考えが主流になっているからかもしれません。
資本主義社会内で個人間で争わなくてはなりませんので、他者に気を配る余力がないのかもしれません。
しかし、東北大震災の時、それから現コロナ禍では、
日本人の礼儀正しさや誠実さ、
ボランティアに積極的な慈悲深い心
マスクを外さず、自粛を我慢できる忍耐力
など武士道の精神があらわれました。
僕自身も素直に「日本人って凄いな~」と誇りに思いました。
普段はあまり意識されないかもしれませんが、
実は、武士道の高邁な精神は今もなお日本人の普遍的な真理として残っているのではないでしょうか。
私は、武士道を忘れないでください!とここで述べるつもりは一切ありません。
ただ、日本人の危機に直面した時に現れる民族性を見たとき、
どうしても武士道が影響していると思ってしまいます。
証拠は不十分かもしれませんが、私は今の日本人にも武士道の精神は流れているといえる、と思いました。
以上、武士道が現代の日本人にも残るのか?についてでした
まとめ
![](https://yotton-coaching.com/wp-content/uploads/2022/02/1504338.jpg)
武士道の切腹について、それから武士道の現代についての記事いかがだったでしょうか?
切腹は現代はありませんが、会社で責任をとるときに「辞職する」というのもどこか切腹に近いものを感じます。
このように今の日本人にも武士道は影響を与えています。
今後もグローバリズムは進んでいくでしょう。
あなたが海外へいくとき、または外国人と話すとき、
「日本人のよさは何だ?」と思ったのなら、『武士道』を紹介するといいでしょう。
その際に、この記事が少しでも皆さんのお役に立てればうれしいです。
以上、新渡戸稲造の『武士道』の紹介でした。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました!
以下おすすめの本を紹介します。ぜひお読みください!
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